「
とんとん みずき橋
」 解体
(
2011.06.27
)
出講先の大学にて、
2011
年
6
月
17
日付『東京新聞』を開いたところ、「千葉中央版 地域の情報」22面に、
国内最大級・野田の木造歩道橋
「とんとん みずき橋」
腐朽進み解体工事始まる
という見出しがあり、一驚した。
住宅都市整備公団が行った大規模な宅地造成に伴い一九九八年三月に竣工した同橋は、同記事によると、「橋全体の面積が約千二百平方メートルあり、木造歩道橋では国内最大級を誇っていたが」、「昨年の点検時に橋の腐朽が確認され、市は同年九月から通行止めにして」おり、「東日本大震災とその後の余震で歩道橋の危険度がより大きくなる恐れがあるため、解体工事に踏み切ったという」。
震災以前から通行止めになっていたことは、そばを通りかかって既に知っていた。個人的には、宅地造成によって、葦そよぐ静かな用水や田圃が、生き物ともども埋め立てられ、辺りの光景が一変してしまったことに深い悲しみを覚え、また、造成地には北米原産のハナミズキが植えられて地名も「みずき某丁目」と変更されたことに、如何にしても好意を持つことができず、当然、「とんとん みずき橋」にも愛着心はほとんどなかった。そもそも、「日本一」を銘打った同橋は、国産材でなくアフリカ産の輸入木材を使用して築造されており、そのことにも甚だ違和感を感じたものであった。
それにしても、「メンテナンスは「二十五年以上不要」とされていた」のが、完成後わずか十三年にして、解体するほどまで状況が「極めて深刻」化していたとは、まったく思いもよらなかった。やはり、アフリカ産の建材が、日本の風土に合わなかったのであろうか。今、奈良の某有名寺院で、アフリカ産の巨木を用いた大造営が行われつつあると聞いているが、はたして千年の風雪に耐えうるのであろうか。いささか心配される。
それはともかく、先週の金曜日(六月二十四日)午後、地方税を納めるため外出したついでに、少々足を延ばし、十五時前後、「とんとんみずき橋」の解体現場へ向った。平日の日中であったためか、私の他に、写真を撮っている人は見当たらなかった。それどころか、立ち止まって、解体中の橋に目をやる通行人さえ、一人としていなかった。これには、さすがに言いようのないわびしさを感じないわけにいかなかった。
なお、同橋の解体に関する情報は、上記『東京新聞』の他に、未だ目にする機会を得ない。これもまた淋しい限りである。(尤も、自分が気付いていないだけかも知れない)
ちなみに、同橋の近傍には、江戸時代の旗本で、「高家(こうけ)」とも親族関係を持っていた岡部家の菩提寺、海福寺がある。
「跡弔ひてたび給へ、跡とぶらひてたびたまへ」
(
2011.6.27.
訂正あり
)
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