岩槻城址公園の東武鉄道1720系車輌

岩槻城址公園

 令和三年(2021)十一月一日、例の如く四十年モノの古自転車で外出、県道野田岩槻線をひたすら西進し、「岩槻城址公園」に向かいました。
 
岩槻区 長宮
30分でOK! 夢のパンチパーマ」 岩槻区 長宮
 
 途中、岩槻区長宮で、左手に見かけました理容室の昭和時代風看板、
 「30分でOK夢のパンチパーマ
とあるのに心惹かれ、わざわざ引き返して写真を撮ってしまいました。わがアタマには永遠に叶うことなき見果てぬ「夢」、というわけでは勿論なく、つつがなきや中学校の同級生を思い出してしまいました次第。自転車では、自動車運転時よりも視界がはるかに広く、何よりも小回りが効きますので、このような状況には柔軟に対応できます。
 帰宅後に調べましたところ、岩槻区長宮250に位置する「金子理容店 / ヘアーサロンKANEKO」との由。
 
岩槻区 長宮
岩槻区 長宮「東栄運輸」
 
 その少し先、右手に寝台客車(いわゆるブルートレイン)二両が目に入りました。「東栄運輸」の駐車場の西側です。望遠で写真を撮り、手前(南側)の一両が「オハネフ25 13」であることが確認されました。車両の周りには柵があり、「立入禁止」と掲げられており、「無断での立ち入りはご遠慮ください」とありますので、遠くから撮影するのみに留め、先を急ぎました。
 
岩槻城址公園
岩槻城址公園
 
 「岩槻城址公園」は元荒川の西岸に位置し、国道16号線の北側、近い距離にあります。
 お目当ては、城址そのものよりも、二十世紀の日本の民営鉄道を代表する名車輌の一つ、東武鉄道の1720系特急列車専用車輌DRC / デラックスロマンスカー)の先頭車輌です。かつて、特急「けごん」「きぬ」として春日部駅を颯爽と通過していくのを、「停まらないんだ...」とやや恨めし気にも眺めていた一少年には、まさしくあこがれの的でした。
 
岩槻城址公園 岩槻城址公園
 
 1720系の先頭車輌は東向島(玉ノ井)の「東武博物館」にも保存されておりますが、長い車体は切断されており、部分的にしか残されておりません。一方、岩槻のは、一輌全体が保存されております。
 
岩槻城址公園
 
 この、岩槻の1720系車輌は、「岩槻城址公園」の最北端、元荒川に近い「第3駐車場」の北側、「ロマンスカー展示広場」の木立の中にたたずんでおります。
 なお、「岩槻城址公園」内には、江戸時代の「黒門」と「裏門」が移築再建されており、また、県史跡に指定されている「新曲輪」跡、「鍛冶曲輪」跡には土塁・空堀などの中世城郭遺構が残されております。
 公共交通を利用して訪問する場合、岩槻駅と東岩槻駅から「岩槻区コミュニティバス」の便があり(平日のみ一時間に一本)、最寄りのバス停は「岩槻城址公園」です。
 ちなみに、「オハネフ25 13」の「東栄運輸」は、「岩槻城址公園」から徒歩でも、それほど遠くありません。ただし、国道16号線を横断する必要があります。「岩槻区コミュニティバス」の最寄りバス停は「南平野中央通り」ですが、南に向かい、やはり国道16号線を横断します。こちらは、正真正銘の鉄道マニア向けでしょう。
 さて、岩槻城址のあちこちを巡りました後、少々西に進み、それから、戦前に“夭折”した「武州鉄道」の廃線跡にほぼ沿って南下しました。なお、途次、「真光寺貝塚」を再訪しております。
 
真光寺貝塚
真光寺貝塚
 
 岩槻以南の「武州鉄道」の廃線跡は、かつて埼玉学園大学への出講日に、講義終了後、幾度も徒歩で北上して辿ったものでしたが、このたびは逆に南下しました。廃線跡は、一部を除けば、数年前と大きな変化はありませんでした。様相が変わっておりましたのは、綾瀬川南岸の再開発区域です。綾瀬川の北側から観察いたしますと、あたりには住宅が立ち並んでおり、光景は一変しておりました。また、笹久保の廃線軌道跡は、繁茂するセイタカアワダチソウのため、足を踏み入れることが困難となっておりました。
 「武州鉄道」の廃線跡につきましては、後日、あらためて報告したいと思います。
2021.11.16.記)
 
岩槻城址公園
岩槻城址公園(写真はすべて2021.11.1.撮影)



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