峯ヶ岡八幡宮
(川口市 峯 20211015日参拝)
 
峯ヶ岡八幡宮
 
 20211015日、「今日思い立つ旅衣」ではありませんが、四十年モノの古自転車に乗って川口市方面に行きまして、峯ヶ岡八幡宮参拝をいたしました。
 峯ヶ岡八幡宮は、私が論文で取り上げたこともある源経基が創建したと伝えられている古社ですが、いまだに参拝したことがありませんでした。
 
新中川水管橋
新中川水管橋
 
 吉川駅南方の「新中川水管橋」で中川(古利根川)を渡り、「山城橋」で八条用水をよぎり、「笹塚橋」を越えて古綾瀬川のほとり、草加市八幡町の八幡神社を経て、南西に進みます。
 
草加市八幡町の八幡神社
草加市八幡町の八幡神社
 
 綾瀬川に架かる「槐戸橋」を過ぎて、東武鉄道新田駅の南側を西進した先に位置する「ブックオフ草加新田店」に立ち寄るつもりでおりしたが、遺憾なことに九月末で閉店しておりました。
 そこから南下して花栗町に向かい、県道「さいたま草加線」(旧「浦和・草加線」)を西進します。ところが、「横道」交差点の手前で、本道が「吉場安行東京線」に直進するように付け変えられていたことを知らず(手持ちの地図が古いためです)、さらに南西へ進むべきところを誤って「吉場安行東京線」に入り、北北西に進路を取ってしまいました。「東光寺」門前で誤りに気付きましたが、あちこち道を迷った末、安行小学校の手前に到ったところで、ようやく目的地への経路を再確認することができました。
 そこから南下すると、その名も「峯八幡宮」というバス・ターミナルがありました。
 
「峯八幡宮」バス・ターミナル
「峯八幡宮」バス・ターミナル
 
 これで目的地に着いたと安心し、その東にある小丘こそが峯ヶ岡八幡宮であろう、と思いましたが、参道はどこにもなく、住宅地が続くばかりです。こは如何にと、むやみにあちこち自転車を走らせておりますと、大きな車道に出てしまいました。本来、進むべき予定であった県道「さいたま草加線」です。
 持参の埼玉県道路地図(昭和599月版)から、あたりは畑や繁みが多いのどかな所であろうと想像しておりましたが、案に相違して、完全な町中です。
 
川口峯郵便局
川口峯郵便局
 
 手許の地図には載っていない「川口峯郵便局」に立ち寄った後、県道「さいたま草加線」を南西に進み、神社の参道口のような所を通り過ぎ、「峯八幡入口」交差点を右折、「峯八幡坂通り」を北上して坂道を上りますと、やがて「八幡坂」バス停です。
 
「八幡坂」バス停
「八幡坂」バス停
 
 これが、峯ヶ岡八幡宮の最寄りのバス停で、東側の岡の上は峯ヶ岡八幡宮の境内です。国際興業バス「川13」系統(川口駅東口〜峯八幡宮)のバスが日中片道1時間4本あり、公共交通の便は悪くありません(川口市コミュニティバスもありますが本数が少ないです)。
 先ほどの「峯八幡宮」バス・ターミナルは、峯ヶ岡八幡宮からは500mほど北に位置していたのでありました。迂闊の至りです。しかし、このようなこともまた、小回りが効く自転車ならではの愉しみの一つです。
 さて、峯ヶ岡八幡宮は、思っていたより以上に堂々たる立派な神社でした(私は、ネット等で下調べをすることなく現地を直接訪問することが、しばしばあります)。社務所もあります。
 
峯ヶ岡八幡宮
峯ヶ岡八幡宮
 
 社伝によると、峯ヶ岡八幡宮は天慶年間、「将門追討の勅命を受け、武蔵国で幾度と合戦し、合戦中に度々奇瑞霊夢を受けついに将門を滅ぼし」た源経基が「霊夢の告により」創建したとされ、源頼義、義家、義光にも所縁があるとされております。しかし、経基が平将門と干戈を交わしたという歴史事実はありません。天慶年間の創建という社伝は、清和源氏との所縁を過去に遡及したものである可能性が高そうです。
 
峯ヶ岡八幡宮
 
 しかし、御神体は、埼玉県指定有形文化財に指定されている「木造僧形八幡坐像」で、その胎内には弘安五年(1282)七月二十三日付の造像願文が納められております。もって、峯ヶ岡八幡宮が鎌倉時代には既に創建されていた事実に疑いの余地はなく、その歴史の古さを証しております。
 
峯ヶ岡八幡宮
 
 朱塗りの鳥居から境内を出ますと、神社の参道は石段を下って、南へと延びております。
 
峯ヶ岡八幡宮
 
峯ヶ岡八幡宮
 
 参道をまっすぐ進んだ先には、両手に池があります。東側の池には島があり、弁財天が祀られております。
 
峯ヶ岡八幡宮 峯ヶ岡八幡宮
 
 参道は、そこから東南に折れて、県道「さいたま草加線」に到っております。先刻、自転車で通過した「神社の参道口のような所」とは、まさに峯ヶ岡八幡宮の参道口でした。
 
「貝塚」バス停 峯ヶ岡八幡宮参道口
「貝塚」バス停   峯ヶ岡八幡宮参道口
 
 参道口は、「貝塚」バス停とは、まさしく目と鼻の先です。
 「貝塚」バス停からは、国際興業バス・東武バスの「川11」系統(川口駅東口〜草加駅西口)、国際興業バスの「川25」「川25-2」系統(川口駅東口〜安行出羽、戸塚安行駅)、「鳩06」系統(鳩ヶ谷駅東口〜草加駅西口)が、日中片道1時間46本あります(川口市コミュニティバスもありますが本数が少ないです)。
    「国際興業バス路線案内」
     https://5931bus.com/routebuindex.html
     ・2021年版_【07】路線図_川口東口-1
      https://5931bus.com/filetopic1006_ext_03_6.pdf
     ・2021年版_【10】路線図_西川口東口・蕨東口_210517更新
      https://5931bus.com/filetopic1006_ext_03_9.pdf
    東武バス路線図
     https://www.tobu-bus.com/pc/search/rosenzu.html
     ・東武バスセントラル(株) 草加営業事務所管内バス路線図
      https://www.tobu-bus.com/pc/search/rosenzu/souka20210222.pdf
    (以上、202110月現在)
 草加方面からの参拝客には、「川11」「鳩06」系統バスの「貝塚」が峯ヶ岡八幡宮に最寄りのバス停となります。
 さて、峯ヶ岡八幡宮参拝を終えた後は、北上して安行に向かい、五年ぶりに西福寺(百観音)に参詣いたしました。
 
西福寺 三重塔
西福寺 三重塔
 
 西福寺の三重塔は、やはり、ほれぼれとする優美さです。
 そこからさらに西に進み、戦前に“夭折”した武州鉄道の終着点、神根駅跡の付近を通過し、かつての出講先、埼玉学園大学を経て芝川を越え、浦和市円正寺の「ブックオフ浦和円正寺店」に到りましたが収獲ナシ。“転進”して、見沼通船堀(水を止めての改修工事中でした)に沿って東進し、「見沼代用水東縁」に臨む「木曽呂の富士塚」に到りました。
 
木曽呂の富士塚 「皇太子殿下行啓記念樹」碑
木曽呂の富士塚 (右:「皇太子殿下行啓記念樹」碑)
 
 埼玉学園大学に出講していた時に何度か訪れたことがある富士塚の東側は、ちょうど「擁壁改修工事」中でした。平成時代建立の「皇太子殿下行啓記念樹」碑も現存しております。
 
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平成241012日における
木曽呂の富士塚
「皇太子殿下行啓記念樹」碑
記念樹(梓)

木曽呂の富士塚
2012.10.12.撮影)
 
 こうして、川口市の東部から北部を回る巡検行を終えて、綾瀬川を「越巻橋」で渡り、越谷駅を経て帰途に就きました次第です。
 
峯ヶ岡八幡宮
峯ヶ岡八幡宮
2021.10.21.記. 修正等アリ

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