東京都中野区中央二丁目
「中本二会館」
(2021年6月11日)
2021年6月11日、中野から東中野を経て、丸ノ内線の中野坂上駅まで歩きました際に、年期の入った一軒の二階建て木造建築物の前を通りました。場所は中野区中央二丁目、青梅街道から少し北に入った所です。
建物の正面は東面しており、その玄関表札に「中本二会館 町会事務所」と、引き戸の上の電灯式表札に「本二会館」と、玄関表札の下方に「中本二町会 掲示板」と書かれてあり、さらに、玄関右手には「防犯カメラ作動中 本町通二丁目町会」と掲げられております。
よって、この建造物は、中野「本町通二丁目町会」の会館(事務所)であることが知られます。
建物二階南面の戸袋には、
まで、薄れた文字を読み取ることができました。
町会名「本町通二丁目町会」は、所在地「中央二丁目」の地名とは一致しておりません。いささか気になりましたので、後日、調べてみましたところ、「本町通二丁目」とは古い行政区画名であると知ることができました。
本町通二丁目町会
https://nakano-tobu.securesite.jp/choukai02.html
https://nakano-chokai.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/p039-023本町通二.pdf
町会のサイトには、かの木造建築物につき、
●1958年6月 町会事務所(本二会館)の落成
皆様の寄付を集めて、木造2階建の会館が建設され、現在まで町会の諸行事に使用されています。
と記載されております。すなわち、築六十三年の昭和三十三年の建物です。落成時は営団地下鉄丸ノ内線の開業前で、「本二会館」の二階からは、青梅街道を走る都電杉並線をも見下ろすことができたことでしょう。
ところで、この「本町通二丁目町会」は、中野区の中央二丁目1〜6、29、30番地、および、本町二丁目46〜51、54番地から成っており、町会(自治会)組織と行政区画とが合致しておりません。
東部区民活動センター運営委員会
https://nakano-tobu.securesite.jp/
町会情報・東部区民活動センター・町会
https://nakano-tobu.securesite.jp/choukaichizu_0.html
これは、中野区において、1967年6月1日に行政区画が再編成された後も、消滅した古い行政区画の枠組みが「町会(自治会)」として遺存したことに因っているためのようです。
地域的な人的結合の単位が、現在の行政区画の境界とは合致しない、地図上には表れない古い行政区画に基づいているとは、なかなか興味深い現象であるように思われます。清代モンゴル人の多くが、政治的には清朝の盟旗制のもとで編制されていながらも、社会的には、盟旗制以前から存在していたバグ baγ の組織が引続き機能しており、異なる内部構造が並存していたという歴史的事実を、つい連想してしまいました次第です。
(2021年7月5日記。写真追加あり)
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