小島草庵跡、多賀谷城址を訪れる
20231017日)

小島草庵跡 多賀谷城本丸跡

 快晴の20231017日、ちょうど予定が入っておりませんでしたので、「座業には適度な運動が必要」と、例の如く古自転車に乗って八時間ほど外出し、茨城県下妻に行ってまいりました。主要目的地は、下妻市小島における親鸞聖人の小島草庵跡です。
 いつもより早目に910分に出発し、往きはなるべく近い経路を取り、県道岩井野田線で芽吹大橋を渡り、利根川の土手道を北上して945分に(旧)小山の渡し付近に到ります。
 
芽吹大橋
芽吹大橋
(旧)小山の渡し付近
(旧)小山の渡し付近
 
 岩井市街を1015分頃通過し、県道結城坂東線(20号線)を進み、国王神社には1025分頃、弓田で寄り道をして1035分頃「ぽっくり不動尊」こと慈光寺弓田不動尊に参詣しました。
 
慈光寺弓田不動尊 慈光寺弓田不動尊
 
 沓掛では並行する旧道に入り、1055分、「猿島之鎮」を称す沓掛香取神社を参拝、沓掛商店街を抜けて新道に戻り、1110分頃、飯沼川に架かる「上高橋」を経て、東仁連川は工事中の紅葉橋で渡り、峰房の丁字路を右折して「皆葉峰房線」(217号線)を東進、皆葉の交差点を更に直進して鬼怒川の土手に出ます。右手に筑波山を望みつつ北上し、1135分、「大形橋」で鬼怒川を渡ります。
 
大形橋
 
 「つくば古河線」(56号線)を東進し、廃庁となった旧千代川村役場と同じ敷地内の千代川公民館に少し立ち寄ります。
 
旧千代川村役場 旧千代川村役場
旧千代川村役場
 
 1150分頃、そこから至近距離にある宗道神社を参拝しました。
 
宗道神社
 
 宗道神社には崇道天皇の由緒がありますが、勿論、後世の牽強付会でしょう。
 ちなみに境内には、「奉納/秋篠宮悠仁親王誕生記念/お印の樹 高野槇」碑と記念樹があります。
 
宗道神社
 
 さらに東進し、関鉄常総線の宗道駅の北の踏切では上下列車の通過を待たされました(1203分頃)。
 
関鉄常総線 関鉄常総線
 
 踏切の先200mほどで左折、刈り入れ後の田圃の中の農道のような舗装道路を、山ヒダまではっきりと見える筑波山を眺めつつノンビリと北北西に進み、突き当りを左折、社殿でなくお祠の新堀日枝神社(飛督神社)に立ち寄り参拝します。
 
新堀日枝神社 新堀日枝神社
 
 その北西方に位置する小島草庵跡に到着したのは1220分でした。
 
小島草庵跡 小島草庵跡
 
小島草庵跡
 
小島草庵跡
 
 現地には浄土真宗系の建物でもあるのだろうか、と思っておりましたが、「(株)野村住建工業」という大看板のかかった事業所に隣接した一区画に、二本の大鴨脚ほかの樹下に石碑と多宝塔があるだけです。
 到着時、地元民らしい自転車の老人が先客として来ておりましたが、私が自転車を止めて挨拶しますと、ろくに返答もせずに立ち去りました。
 大量の銀杏が落ちており、参道を歩みますと、踏まれた銀杏の臭気が立ち込めます。そこで、「草引き十本」だけでなく、参道上の銀杏と鴨脚の落葉をすべて清掃しました。
 1250分頃に小島草庵跡を離れます。下妻市街方面への道は道路工事で完全に通行止めとなっておりましたので、田圃の中の未舗装の農道を、小島草庵跡の南方そして西方を大きく迂回しました。
 
小島草庵跡遠景
 
小島草庵跡遠景
小島草庵跡遠景
 
 田圃の西の端には関鉄常総線の線路があり、列車が往来するのがよく見えます。列車の車内からも小島草庵跡は眺めることができるはずです。線路の東側の細道を北上すると、遮断機のない趣のある踏切が二箇所ありました。
 下妻市街を東西に横断する県道125号線に出て、小野子丁字路から北上すると、右手に、如何にも昭和の市役所然とした建物が見えてきました。
 
下妻市旧庁舎
 
 これは今年の五月に廃庁となった古い市庁舎で、道を挟んだ東側に真新しい新市庁舎が建っております。
 
下妻市新庁舎
 
 この新庁舎内の一階ロビーでしばし休息しました(1320分頃〜1340分頃)。
 旧市庁舎のすぐ近くにブックオフがありましたので立ち寄り、
浄土宗の縁山声明CDその他を購入しました。
 1405分頃、そこから目と鼻の先の「多賀谷城跡公園」に行き、多賀谷城(下妻城)本丸跡の小丘にのぼります。
 
多賀谷城本丸跡 多賀谷城本丸跡
 
多賀谷城本丸跡
 
 1420分頃、下妻駅に寄って、下妻訪問記念に下妻駅でなく大宝駅の入場券を購入しました(実は、下妻から大宝までの乗車券と勘違いしただけの話です)。
 
下妻駅
 
下妻駅
下妻駅
 
 実は、時間があれば大宝城にも行きたかったのですが、日が落ちる時間を考えますと、そうノンビリもできませんので、大宝行きは次の機会、と帰途に就きました。
 関鉄常総線に並行する旧国道294号線の県道357号線を南下すると、1430分頃、右手に社叢が見えてきました。「豊田三十三郷・幸嶋十二郷総社」を称する宗任神社です。
 
宗任神社
 
宗任神社 宗任神社
 
 実のところ、宗道地区に宗道神社と宗任神社の二社があることを把握しておらず、往きに訪れた宗道神社にまで戻ったとばかり思い込んでおりました。
 この宗任神社は、その名のとおり「阿部宗任」こと安部宗任を祭神としておりますが、神社の案内板においては、朝廷に弓を引いた叛逆人を祀っているという事実が完全に伏せられております。代わりに、「国家君が代」「敬神生活の綱領」「神威赫々」「皇紀二六五〇年記念〜」「敬神仰徳」といった石碑が目につきます。
 その一方で、参道の傍らで、横倒しになった底のない大樽の中に納まっているかのような末社は、「成り成りて成り余れる」モノと「成り成りて成り合わざる」モノの真新しい石造物が鎮座しており、思わず「おーっ」というよりも「まぁ」という感じ、です。その名も「子宝神社」。
 時間の関係で長居はできず、宗任神社を辞去し(1440分頃)、往きと同じ、または、それにほぼ並行する経路を取って帰路を急ぎます。
 大形橋で鬼怒川を越えて(1450分頃)、峰房では県道結城坂東線(20号線)の東側200mほど離れた田舎道を南下しましたところ、行く手には台地の裂け目のような谷があり、それを越える下り坂の先の谷底は泥濘に埋もれているようで、恐れをなして、もと来た道を引き返しました。
 往きと同じく「紅葉橋」、そして「上高橋」を渡り、沓掛香取神社付近は新道を通過(1520分過)、弓田では旧道を通り、岩井弓田郵便局に立ち寄り(1535分頃。84円切手を10枚購入)、国王神社を参拝して(1550分頃)、馴染みの平将門像がある「坂東市総合文化ホール」で最後の休息を取ります(1600分〜1610分)。
 
平将門像
平将門像
(旧)小山の渡し付近
(旧)小山の渡し付近
芽吹大橋から望む利根川
芽吹大橋から望む利根川
 
 そして、(旧)小山の渡し付近を経て(1630分頃)、芽吹大橋を渡り(1640分頃)、薄暮迫る1712分につつがなく帰宅いたしました次第です。
2023.11.21.公開)
関東鉄道常総線


幻の縁山声明CD
 
 20231017日、自転車で茨城県下妻市を訪れました。市役所のすぐ近く、「多賀谷城跡公園」の南東隣に位置する新古書店、ブックオフ下妻市役所前店(看板を見るまで、その存在を把握しておりませんでした)に立ち寄りまして、次の浄土宗声明CD二枚組。帯ナシ)を購入しました。

縁山声明 津田徳翁の心

縁山声明 津田徳翁の心
響玅
大本山増上寺 教授師 津田徳翁
np., nd.
[VTT-3721]
Recording at VANRYUJI STUDIO

 一見、「緑山」かと思いましたが、「緑」でなく「縁」です。「縁山(えんざん)」は、三縁山広度院増上寺の略称です。
 表題の「響玅」というのは、翻字がこれで果たして正しいものか否か、実のところ判然としておりません。「響竗」のようにも見えなくもありませんが、意味をなすようにも思われません。また、「響鈔」と読むにはカネ偏に無理がありそうです。もっとも、これをいえば「響玅」の「玄」も、最後の筆画がトメでなくハネですので、かなり無理ぎみではあるのですが...
 ともかくディスク情報を確認してみよう、とネット検索を試みてみました。ところが、ネット上には当該CDに関する情報が、まったく見当たりません。ネット検索に掛からないということは、世間的には存在しないも同然の扱いです。もちろん、「響玅」で正しいかどうかも分かりません。
 これは いかなこと、ということで、とりあえずBing博士に「縁山声明 響玅」につき質問してみました。すると、ただちに次のありがたい回答を得ることができました。

    「縁山声明」とは、浄土宗の声明の一つで、増上寺に伝わる声明の一つです。縁山声明は、大原流を継承しつつも、旋律は大原流とまったく趣きを異にした独特な旋律唱法を生み出したとされています。一方、「響玅」とは、浄土宗のお経の一つで、阿弥陀如来を讃えるお経です。

 おお、と思わず納得しかけてしまいましたが、念のため、更に質問を重ねてみますと、

     「響玅」とは、浄土宗のお経の一つで、阿弥陀如来を讃えるお経です。このお経は、浄土宗の開祖である法然上人が、自らの教えをまとめた『教行信証』に基づいて作られたもので、法然上人が自らの死期が近づいた際に、弟子たちに説いたとされています。
     「響玅」は、阿弥陀如来を讃えることで、人々が阿弥陀如来の慈悲深い心に触れ、救済されることを願って唱えられます。また、「響玅」は、浄土宗の教えを広めるために、法然上人が作ったお経であることから、浄土宗の教えを学ぶ上で重要なものとされています。

とのことで、甚だ遺憾ですが回答は信頼できないと確信することができました次第。
 それはともかくとして、「縁山声明」につきましては、『新纂浄土宗大辞典』「声明」三「増上寺に伝わる声明」に解説があります。
 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/声明
 これによりますと、「尊超法親王は、縁山の声明道にも意を注ぎ、叡山古来の声明と縁山当代の声明を比較し、音声の扱い方と節奏等に差隔があったことを伝えている(『浄土宗法式精要』)」との由です。
 『新纂浄土宗大辞典』には、津田徳翁師も立項されております。
 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/津田徳翁
 ここには、「声明の五線譜化を専門家に依頼し、自ら録音して縁山声明の伝承に尽力する」とあります。まさにその録音が、ネット上では存在自体を確認できない幻の当該CDに収録されている、ということなのでしょう。
 ちなみに「響玅」という用語は、「浄土宗全書テキストデータベース」にも、「大正新脩大藏經テキストデータベース2015版 (SAT 2015)」にも、掛かりませんでした。
 なお、当該CDの「Recording」が行われたとされる「VANRYUJI STUDIO」とは「蟠竜寺スタジオ」のことのようです。このCDの音源は、音質から推測するに、津田徳翁師がノーマイクでラジカセ録音したもののようで、おそらくその録音を「蟠竜寺スタジオ」でデジタル化した、ということであるかと思われます。
 「蟠竜寺スタジオ」を擁する蟠竜寺は、目黒不動尊と目黒寄生虫館の中間やや東側に位置しております。目黒方面へ赴く機会がありましたら参詣いたしたいものでございます。もし、ご住職と邂逅できましたら、「響玅」について教えていただくことができるかも知れません。
 この翻字が「響玅」でないとすれば、「響鈔」ということとなりそうですが、「響鈔」というのは、モンゴル帝国は元朝時代の漢語俗語で、金属製貨幣、すなわち銅銭や銀貨を指すものなのだそうです。要するに、紙幣である「交鈔」に対し、ジャラジャラ音が響くので「響鈔」と称するとの由。
 また一つ、勉強になりました。
2023.10.22.初稿, 2023.11.11.公開)
 


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