梅 郷 駅


東武野田線を特急列車が走っていた時代の梅郷駅
 
梅郷駅
2024.1.22.撮影)

梅郷駅
2023.12.29.撮影)



2012229日午前11時 梅郷駅
 
2012年2月29日午前11時 梅郷駅



2012110日夕刻 梅郷駅
 
梅郷駅
(まだ塔の先端は傾いておりません)



【参考】
 
東京・野田直結列車
2017512日)
 
 2017512日金曜日、都内の出講先からの帰途、有効期限が近づきつつある東武鉄道の片道乗り放題乗車券を消化するために、伊勢崎線と野田線(現在はそれぞれスカイツリーライン、アーバンパークラインと称します)で帰宅しました。
 乗車した伊勢崎線の南栗橋行き急行列車が、野田線への乗換え駅、春日部に近づいて流れました車内放送によりますと、大宮方面と野田市方面へは、向かい側のホームで特急「アーバンパークライナー」に接続するとの由です。
 この野田線直通特急列車「アーバンパークライナー3号」は、421日のダイヤ変更(それによって甚だ遺憾なことに日光・鬼怒川方面への快速列車が全廃されました)で新設されました。浅草駅を2130分に出発し、北千住、せんげん台、春日部と停車し、春日部で大宮行き(前3輌)と野田市行き(後3輌)に分割、野田線に乗り入れます。浅草と野田市を直結するのは、この列車1本のみで、逆方向に野田市から浅草へ向かう列車は設定されておりません。
 東京都内から野田市へ直通する初めての定期列車、ということで、一度は試みに乗車してみたいと思っておりました(なお、既に浅草発、運河行きの臨時特急列車は走ったことがあり、私も昨年末、出講先からの帰途、浅草駅から梅郷駅まで乗車したことがあります)。私が乗車しておりました急行列車が、まさか春日部駅で特急列車に追い付くとは思いもよらず、たいへんに驚きました。
 この「アーバンパークライナー3号」は、野田線内は特急券不要。乗車券のみで利用できますので、終点の野田市駅まで乗車しました(この日は写真機を持っておりませんでしたので、写真はありません)。
 春日部で、野田市方面の先頭となる車輌に乗り込みますと、車内は空席が目立ちました。先客はおそらく10人前後と思われます。
 車輌はデッキ付1扉。座席はリクライニングの転換クロスシートで、テーブルを引き出すこともでき、たいへんに居住性に優れた本格的な特急型車輌です。
 野田市行きは、春日部で進行方向が変わりますので、自分の座る座席のクロスシートの向きを進行方向に変えました。
 発車時刻、2118分が過ぎましたが、野田線内の列車遅延のため、さらに34分ほど待ちました。その間にも、少しずつ乗客が乗り込んできまして、春日部発車時点での着席率は、私が乗った先頭車輌ではほぼ50%となりました。
 藤の牛島、南桜井と、停車駅ごとに乗客は次々と降りていきます。南桜井では、下車した34人が、携帯電話かスマートフォンかで、列車の写真を撮影しております。
 終着野田市駅に到着した時には、私が乗っていた車輌に残っていたのは4人だけでした。そのうちの1人、サラリーマン風情の初老男性は熟睡しており、「回送」となる車内を巡っていた係員に起こされておりました(降車後、野田市駅の改札口に向かっていきましたので、乗り過ごしではなかったようです)。3両編成の各車輌から降りたのは、目測では15人ほどのようです。うち、私を含めて10人ほどは、島式ホームの向かい側に到着した後続の2240分発「柏」行きに乗り継ぎ、それぞれの目的地へと向かっていきました。
 さて、この「アーバンパークライナー3号」では、浅草・北千住から野田線内まで、通しで乗車した乗客は、わずかのように思われました。乗車効率の関係上、次のダイヤ変更で、野田市駅への乗入れが打ち切られてしまうかも知れません。
 逆に、夜でなく朝の通勤時間帯に、野田市内から東京都内へ直通する全座席指定列車が設定されれば、疑いなく高い乗車率になると思われます(もっとも、倹約志向の私が利用することは、まずなさそうですが)。半蔵門線への乗入れは難しいでしょうが、浅草行きでありましても、浅草で銀座線の始発列車に乗換えましたら、着座して日本橋、銀座、渋谷へと到ることができます。
 指定席特急券の発行は、主要駅とインターネットでの前売りに限ればよいでしょう。そうすれば、野田線内各駅での設備投資も不必要です。もとより乗車定員が少ないですので、売れ残ることは、まずないでしょう。
 そもそも、東京都内へ通う野田市民で、直通列車「アーバンパークライナー3号」の存在を認識している人は、現時点では決して多くないと思われます。東武鉄道の車内・駅広告は、それほど目立つものではありません。また、野田市の市報やミニコミ誌が、この列車について大きく取り上げたことがあるとは、今のところ私は把握しておりません。
 現在、野田市では、「野田市民の悲願」と称して、野田と東京を直結する鉄道の建設が喧伝されております。片道1本のみとは言いましても、既存の東武鉄道によって野田・東京直結列車が実現したとなりますと、その「悲願」に水を差す、ということにもなるのかも知れません。
 鉄道を新設するとなりますと、莫大な建設費がかかります。野田市にも財政的な負担が重くのしかかることでしょう。運賃も、北総鉄道や東葉高速鉄道、埼玉高速鉄道のように高額となることは、疑いの余地がありません。しかも、その経路は、亀有から豊洲に到り、地下鉄有楽町線に乗り入れるというもので、都心へはかなり迂回することとなり、時間もかかりそうです。開通後、どれだけの野田市民が利用するのでしょうか。
 新しい鉄道の建設よりも、野田線の複線化(または複線区間の延長)による待避時間の解消と、春日部から伊勢崎線に乗入れる直通列車の設定の方が、はるかに現実的です。
 ともかく、新設された特急列車「アーバンパークライナー3号」が、野田市における交通政策の議論に対する呼び水となりますことを期待する次第です。
2017515日記. 改訂アリ


 
静かな記念日
 
野田市内における東武鉄道野田線一部区間の複線化
 
 昨日、平成二十三年(二〇一一)四月二十三日は、千葉県野田市の交通史上、記念すべき日であった。
 即ち、県営野田軽便鉄道開業百年目にして、野田市において、初めて、鉄道の複線区間が開通したのである。
 東武鉄道野田線では、日中10分間隔の列車運行にダイヤ改訂した後、梅郷駅〜野田市駅間の単線区間においてダイヤグラムに少々無理があったためか、恒常的に列車の遅れが生じるようになっていた。時に、遅延が8分を超え、一本後の列車に繰り下げを行うことさえあった。
 また、東武鉄道伊勢崎線の竹ノ塚における不幸な踏切り事故より以来、「安全のため」という名目のもと、運河駅方面から梅郷駅に「上り」列車が進入しようとすると、野田市駅方面の信号が赤であっても、梅郷駅付近の野田市駅寄りにある踏切り二箇所が閉まるようになってしまった。そのため、対向の「下り」列車が遅れた場合には、列車が通らぬにもかかわらず踏切りが閉まったまま、通行人・車輌が5分以上も無為に待たされるという状況がしばしば生じた。その結果、遮断機への暴行(一昨日にも老父が目撃したと云々)のみならず、「踏切り破り」も多発し、かえって「安全」面において憂慮される事態となっていたのである。
 恒常的な列車の遅れを解消するため、東武鉄道は、梅郷駅〜野田市駅の中間地点に閉塞施設(つまり信号所)を設けて梅郷駅から野田市駅方面への一部区間を複線化する工事を進めていた(全区間が複線化されなかったのは、野田市駅の高架化計画のためであろう)が、昨日未明、梅郷駅構内の線路を付け替え、昨日朝の初電車から複線区間を列車が走るようになったのであった。
 野田線の複線化は、野田市にとって、数十年来の「悲願」であった。一部区間とはいえ、ようやくそれが実現したのであるが、祝賀会はおろか、鉄道利用者および地元住民への告知さえも全くなく、まことに坦々たるものであった。
 それはともかく、これによって、鉄道の遅延と踏切りの長い遮断は大幅に改善された。大いに慶ぶべきことである。
2011.4.24. 増補あり



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