赤坂恒明
「モンゴル帝国期におけるアス人の移動について」


塚田誠之編『中国国境地域の移動と交流 ─近現代中国の南と北─』
(人間文化叢書 ユーラシアと日本─交流と表象─)
東京, 有志舎, 2010.3, pp.144-174.


【概略】
 古代・中世の中央ユーラシア西北部、北コーカサス〜南ロシア方面に居住していた東イラン系集団、アラン(アス)/阿蘭(阿速)人の、モンゴル帝国期における、ユーラシアの東西両方向への移動の様態と、その後、近現代に至るまでの彼らの歴史・宗教の変遷について概観した。
 東方へ移住したアラン(アス)人には、モンゴル帝国・元朝の皇帝の親衛軍の一部を構成し、元朝の軍事活動や重要な政治的局面において顕著な役割を果たしたものがあった。東西分裂期(所謂「北元」期)、彼らの後裔、アスド(アスのモンゴル語複数形)は、モンゴル高原東部における有力集団として活動したが、その後、弱体化した。
 一方、西方のハンガリー平原に移住したアラン(アス)人は、ヤースと称され、歴史上、顕著な活動を行うことはなかったが、中世アラン語の言語資料『ヤース語語彙集』を残すことにより、言語学上、大きな役割を果たしている。
 なお、モンゴル帝国期のアラン(アス)人は、テュルク系のキプチャク人(ポロヴェツ人、クマン人)との関係が密接であり、東西いずれの移住先においても、両者の関係は続いていた。


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