「伊勢奉幣使王代 兼字王考」
『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 第十四号, 2014年12月, 一五〜二八頁.
On KANENA-OU, a Substitute for SHIOU of ISE-HOUHEI
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http://id.nii.ac.jp/1354/00000278/(22_akasaka.pdf)
【正誤表】
一八頁(253頁)
上段 5行
(誤) 平田職忠 (女)
(正) 平田職忠────(女)
二二頁(249頁)
上段 10行
(誤) 齋部使
(正) 忌部使
二二頁(249頁)
上段 20行
(誤) 斎部使
(正) 忌部使
二三頁(248頁)
上段 6行
(誤) 王氏である
(正) 王氏の姻族である
二三頁(248頁)
上段 6-7行
(誤) 彼ら
(正) この王氏
二三頁(248頁)
上段 13行
(誤) と考えられる
(正) とも考えられる
二三頁(248頁)
下段 2行
(誤) 齋部氏
(正) 斎部氏
二四頁(247頁)
上段 24行
(誤) 源氏への改姓が
(正) 源氏への改氏が
二四頁(247頁)
下段 17行
(誤) 斎部代
(正) 忌部代
二五頁(246頁)
下段 12行
(誤) 少外記平田家『忠利宿禰記』
(正) 『忠利宿禰記』
【概略】
江戸前期に、正保四年の伊勢例幣再興以降、四十年にわたり伊勢例幣と伊勢臨時奉幣における使王代として史料に現れる「兼字(かねな)王」をめぐる諸問題について考察。「兼字王」という作名で伊勢奉幣使王代をしばしば勤仕した兵庫寮河越家の地下官人 清原賢充(正しくは中原賢充)が源兼字と改氏・改名したという通説は、同時代史料および青木庸行撰『百年以来近代地下諸家伝』からは裏付けることができず、「兼字王」は中原賢充に対する個人専有の作名ではなかったことを確認。また、兼字王以前の伊勢臨時奉幣における使王代 兼任王と兼久王を、河越家の源重忠と源久忠(後に真継家を相続)に比定。源重忠の三子のうち、次男の賢在は外祖父 中原職廣(職久)より兵庫寮を相続して中原氏を称し、河越家を嗣いだ賢在の弟 源久忠が妻の実家 真継家を相続したため、重忠の五男であると考えられる源行忠歟が河越家を継承したが、その兄である兵庫寮の中原賢在が早世したため、兵庫寮を継いで中原賢充と改氏・改名し、苗字は従来どおり河越(川越)を使用した、と推定。
【目次】
はじめに
一 先行研究に主拠した、兼字王と兵庫寮河越(川越)家の系譜
二 『百年以来近代地下諸家伝』と「真継系圖近代写」における河越家と真継家
三 兼任王と兼久王
四 使王代、兼字王の実体
おわりに
注
兼字王、使王、伊勢奉幣使、河越氏、真継氏
Kanena-ou, shiou (Tsukai-no-ookimi), houhei-shi to the ISE Shrine, the Kawagoes, the Matsugis.