「バイダル裔系譜情報とカラホト漢文文書」
“The genealogy of the Baidar family and Qaraqota Chinese documents
”
『西南アジア研究』第66号, 2007.3, pp.43-66.
【概略】
「シャイバーニー朝」初期のチャガタイ=テュルク語史料『勝利の書なる選ばれたる諸史』tawārīx-i guzīda-’i nuṣrat nāma と、チムール朝期のペルシア語モンゴル王統系図史料『ムイッズル=アンサーブ』mu‘izz al-’ansāb の諸写本に記載された、チンギス・ハンの次男チャガタイの末子バイダルの子孫の系譜を分析し、その原形を復元。それに基づき、中国内蒙古自治区のカラホト(ハラホト)遺跡から発掘された元朝期の漢文文書に現れるモンゴル王族の出自を確定。元朝後期の河西回廊から東トルキスタンにおいて活動したチャガタイ一門の動向に関する新知見を明らかにした。
本稿において解明・推定した主な諸点は、凡そ次の通りである。
一、元朝期における粛王の位は、チュベイの兄カバンの子ゴンチェク以下、ゴンチェクの甥コペク(ケベク)、コペクの子ブダ=メリク(不荅明力粛王)、と、カバンの子孫によって少なくとも三世代にわたり継承された。
二、寧粛王の位は、チュベイの長男トクタ(脱脱/脱忽答大王)、トクタの弟アク=ブカ(阿黒不花寧粛王)、トクタの孫イリンチシカブ(亦令只失加大王/亦令只失加普寧粛王)と、チュベイの子孫が保持していた。なお、トクタの子イスカンダル(イリンチシカブの叔父)も寧粛王の位を嗣いだ可能性がある。また、大英博物館蔵カラホト漢文文書に見える撒昔寧粛王は、このイスカンダルの弟である可能性がある。
三、柳城王亦憐真八(亦令只巴柳城王/令只巴柳城王)は、チュベイの弟トク=テムル(脱忽帖木児大王)の孫イリンチクバル(リンチェンバル)であると考えられる。彼とその勢力は、「西行」したホシラ(のちの大元皇帝明宗)の有力な支持基盤であったと考えられ、「天暦の内乱」において、トク=テムル裔をも含むチュベイ一門は、無視することができない重要な役割を演じていたと考えられる。
※ 本論文の全文(PDF)は、京都大学のサイト上に公開されております。
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