「冷泉源氏・花山王氏考 ── 伯家成立前史 ──」
『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 第十五号, 2015年12月, 三一〜四六頁.
On the Reizei-Genji and the Kazan-Ou-shi
※ 本論文の全文(PDF)は、埼玉学園大学のサイト上に公開されております。
http://id.nii.ac.jp/1354/00000176/(26_akasaka.pdf)
【概略】
平安時代に天皇家から分出した源氏諸流のうち実体が不明のままであった「冷泉源氏」の成員を明らかにし、初期「花山王氏」をめぐる諸問題について次のように考察・推測した。すなわち、「冷泉源氏」(安和御後の源氏)は、花山院の男子で冷泉院の六宮となった清仁親王の男子 延信王が源氏を賜姓されて成立したが、源延信の子 康資王は擬制的に祖父 清仁親王の子となり、王氏に復した。康資王の孫 顕広王は、康資王の子として「花山王氏」(寛和御後の王氏)となった。実系では花山院の五世孫であるが擬制的に三世王となった顕広王は、長命で唯一の三世王として世数の上で他の諸王に優り、王氏是定すなわち実質上の王氏長者の地位を確立することができた。更に顕広王は、神祇伯職と褰帳女王役を自家に確保することに成功し、顕広王の二男 仲資王は公卿に列し、平安末期から鎌倉初期にかけての公家家格確立期に、子孫が堂上の家格を得るための基礎を固めた。かくて、幕末に至るまで神祇伯を世襲して褰帳女王を輩出し続けた白川家(伯家)は、公家社会における確乎たる位置を獲得することができた。
【目次】
はじめに
第一章 「冷泉源氏」に関する疑問
第二章 昭登・清仁両親王の諸子
一 昭登親王の諸子
(1) 良深
(2) 男子某
(3) 女子某
二 清仁親王の諸子
@ 延信王
A 康資王
B 兼文王
C 延清王
D 永子女王
E 信子女王
F 女子某
第三章 延信王と康資王
@ 延信王
A 康資王
第四章 康資王の諸子
イ 源顕康
ロ 顕資王
ハ 源仁子
ニ 顕広王
ホ 公顕
おわりに
系図
注
冷泉源氏、花山源氏、王氏、白川家、伯家
The Reizei-Genji, The Kazan-Genji, Ou-shi, The Shirakawa-ke, The Haku-ke (Hakke).