赤坂恒明
「文禄年間の公家列名史料『当官前官略次第』について」


『十六世紀史論叢』第七号, 十六世紀史論叢刊行会, 2016年9月, 1〜18頁


【概略】
 文禄年間の公家列名史料『当官前官略次第』(陽明文庫所蔵)の翻刻と記載内容の検討を行い、本史料は、文禄三年八月十九日から十月二十二日に至るまでの期間に作成されたと推定し、当該時期の堂上公家、および、「清華成」大名以上の武家の成員を知るための基本史料と位置づけられることを確認し、公家官職の武家員外制が豊臣期に始まっていたと考えられることを指摘した。

【目次】
  はじめに
  一 『当官前官略次第』の翻刻
  二 『当官前官略次第』の書式・記載対象・作成年代
  三 『当官前官略次第』における排列順
  四 『当官前官略次第』の記載内容の検討
  五 武家家格制、武家官位員外制と『当官前官略次第』
  おわりに
  注


【正誤表】
箇所
1頁1行當官当官
14頁上12〜13行||「新公家衆」||──「新公家衆」──
16頁下15行八条隆忠四条隆忠


【参考】
 拙稿「文禄年間の公家列名史料『当官前官略次第』について」が掲載されている『十六世紀史論叢』第七号(市川, 十六世紀史論叢刊行会, 2016年9月)が刊行されております。かくて、私が書いた日本史の学術論文は、計十二編となりました。

『十六世紀史論叢』第七号

 刊行された本誌を手に取り、拙稿を再読してみましたところ、一見しただけで三箇所、誤記および誤植があることがわかりました。
 その一つは、題名です。「当」字が、旧字体「當」のままであることに、ようやく気付きました次第です。題名の誤りを見逃していたとは、まことに面目ないことです。

【正誤表】
箇所
1頁1行當官当官
14頁上12〜13行||「新公家衆」||──「新公家衆」──
16頁下15行八条隆忠四条隆忠

 さらに一つは、人名です。拙稿の複数箇所に現われる「四条隆忠」を、一箇所、「八条隆忠」と記しておりますが、実は、八条隆忠氏は、実在の人物です。


Takatada Hachijo 1976
八條隆忠
『女子職員を見直そう 女子を就業させる管理者の要諦
(東京都新宿区西新宿、近代セールス社、昭和五十一年七月)
    系統信用事業の風土をみつめながら
    その中の女子職員の指導法を
    適切に指摘し
    職場全体に活気をもたらせる本──

    はちじょう たかただ
     大正14年4月13日生まれ。昭和25年9月慶應義塾大学法学部政治学科卒業, 同年10月農林中央金庫に入る。経理部, 調査部, 預金部, 業務部, 大阪支所, 神戸事務所, 秘書室, 推進部を経て現在人事部研修室調査役。
    現住所:××××××××××××

 本書は、購入によってではなく、さる経緯により入手するに至ったものです。
 およそ私の手元にあったところで「猫に小判」、全く使い道がない内容の本ではありますが、四条流(善勝寺流)藤原氏の公家、八条子爵家の後裔の経歴が記載されている点に価値を見出して、保管しております。
 尤も、私が八条家に関する文章を執筆する見込みは、今のところ、ありません。
 この手の本は他にも何冊か所持しておりますが、大学の図書館へ寄贈しようにも、学術関係書籍でないという理由により、引き取りを断られる公算が高いと思われます。
 結局のところ、死蔵書と化したままの状態が、今後とも続くことでしょう。
2016.12.7.記)



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