その先、軍用軌道跡は、「陣ヶ前」バス停留所(右の写真。国道6号線の「陣ヶ前」交差点とは位置が異なる)あたりで県道船橋・松戸線(第464線)を横断し、さらに西南西に向かって延び、「中の兵(なかのひょう)」(松戸町大字松戸字東美野、八柱村大字大橋字中の兵)まで到っていた(渡邉幸三郎『昭和の松戸誌』流山、崙書房出版、2005年4月、118頁)というが、宅地開発に伴う区画整理のため、軌道跡をたどることは著しく困難となる。
さて、「陣ヶ前」バス停付近に達した時点で、そろそろ残り時間が少なくなってきた。
そのため、陣ヶ前から先、中の兵までの軍用軌道本線跡と、さらにその先に延びていたという演習線の跡、および、胡録台における、本線が支線とほぼ並行する区間、また、胡録台から岩瀬方面に到る支線(これは、たいした距離ではないが)の踏破は、後日の再訪に委ねることにして、この日の軌道跡探訪は、「陣ヶ前」バス停の手前で、切り上げた。
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松戸駅に到る途中に歩いた、水戸街道(国道6号線)の「岩瀬」交差点より南方、東京寄りに位置する歩道橋(左の写真)から、松戸中央公園に到る道の一部は、軍用軌道の支線跡に重なるが、支線の終着点と思われる場所にまでは行かなかった。
また、松戸中央公園内とその周辺には、陸軍工兵学校に関連する遺跡がいくつか残されているが、今回はそれらにも立ち寄らなかった。
かくて、松戸駅から新京成電鉄で津田沼に出て、有効期限切れ直前の記念乗車券を無事に「消化」し、千葉方面へと向かったのであった。
(2015年7月26日記。誤記訂正等あり)
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