北総縦断路線バスに乗る
(2015年7月21日)
以前、千葉大学での講義が終わった後の帰路に、津田沼で下車し、新京成電鉄の「前原」駅まで歩いたことがありました。
黄昏も過ぎた暗がりの中、バス停に目を止めましたところ、標識に木下駅方面と書かれてあり、たいへんに驚きました。津田沼から木下まで、一本で北総台地を縦断する路線バスがあるとは。
東京近郊における普通の路線バスにしては珍しい距離の長さです。よって、興味津津、一度はこのバス路線に乗ってみたいものだと思いました。時間の関係上、帰路には難しそうですが、千葉大に出講する往路には利用できるはずです。
列車の本数があまり多くない成田線の木下駅から出る路線バスですので、あらかじめ時刻を調べておく必要がありそうです。
確認いたしましたところ、バス会社は、京成の子会社「ちばレインボーバス」で、路線名は「神崎線」。案の定、本数は少なく、また、途中の「船尾車庫」を境に、直通バスがないことも分かりました。しかし、津田沼付近のバス停に木下駅方面と書いてある以上、「通し」で乗り継ぎできるものと思われます。
さて、2015年は、6月以降、千葉大への往路に、しばしば鉄道聯隊軍用軌道跡を歩きました。しかし、暑気甚だしき初夏、大学に辿り着く頃には、日射と発汗ゆえ体力を甚だ消耗し、講義には余力を振りしぼって臨む(勿論「手抜き」は致しません)、という状況でした。
出講日である7月21日、天気予報は、猛暑により熱中症に殊に注意すべき由を報じております。外歩きを控えるのであれば、バスに乗っているだけの北総縦断は、この日に「決行」するのが良さそうです。
そこで、柏を12時10分に発車する成田線直通の列車に乗って、12時37分、木下に着きました。
駅の南口に出てみますと、左手の先の方にある停留所に、バスが停まっております。
行き先は「船尾車庫」ですので、このバスに間違いありません。
数人の乗客を乗せて定刻12時45に出発したバスは、印西市役所の前を経て南に向かい、台地に上がり、まもなく坂を下って田園地帯を抜けますが、再び台地に上がり、しばらくは典型的な地方的光景の中を進みます。
その後、バスは「草深新田」の先で北総鉄道の線路を越え、「千葉ニュータウン」に進入します。周囲には、いかにも「ニュータウン」的な、都市光景が広がっております。
北総鉄道の「千葉ニュータウン中央駅」の南口に到着すると、乗客は、私以外、全員、入れ替わりました。
「千葉ニュータウン中央駅」で時間調整をした後、バスは13時04分に発車、先ほど通った道をしばらく なぞり返して進んだ後、「原山小学校」の先で、再び南に向かいますが、いくばくも進まないうちに「千葉ニュータウン」の市街地を抜け、終点「船尾車庫」です(定刻13時14分より早く到着)。
バス内で、津田沼までの「乗継乗車連絡票」を発行してもらいます。このバス便では、乗り継ぎ客は私だけのようです。
「船尾車庫」周辺には、「鹿島神社」と「結縁寺」いう社寺があるようですが、立ち寄る時間がありませんし、紺青の晴天、強い日差しに照りつけられるのは叶いません。
乗り継ぎの間、バス事務所の便所を借りました。小便器の上方に「詠み人知らず」が一首(一部、伏せ字)。
急ぐとも 心静かに手を添えて
外に漏らすな ××の滴
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手をよく洗ってから、「津田沼駅」行きのバスに乗り換えます。
「船尾車庫」を13時18分に出発して県道を進むバスは、「秀明大学」に立ち寄ります。そして、「島田台」であっさりと国道16号線を横切ります。この交差点は、25年ほど前、何度も、国道16号線で通過したものですが、周囲の光景に見覚えはありません。それはさておき、停留所ごとに、乗客も三々五々と乗ってきます。
東葉高速鉄道の駅である「八千代緑が丘駅」でも、乗客は私以外、全員、入れ替わりました。時間調整の後、バスは13時45分に出発、西南に向かいます。
「新木戸」で成田街道に合流し、バスは西南西に向かって進みます。左手には、陸上自衛隊の習志野演習場が広がっております。高名なモンゴル学者、楊海英先生が「みたかった」が果たせなかった「青空の下に広がる一望千里の習志野」(楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋, 2014.11, p.28)の面影は、まさに、ここで見ることができます。いよいよ、かつての軍都、習志野です。しかし、バスが進んでいるのは、まだ習志野市ではありません。船橋市習志野です。
演習場の外れに位置するバス停留所「習志野」も、そこから離れた所にある新京成電鉄の習志野駅も、新京成と東葉高速鉄道の接続駅である北習志野駅も、習志野市でなく船橋市にあります。
「習志野」の次の次のバス停は、その名も「自衛隊前」。陸上自衛隊習志野駐屯地の入り口です。楊海英先生が2013年6月9日に「蒸し暑い津田沼駅で新京成バスに乗り換え」て訪れた「自衛隊前という停留所」(前掲書, 2014.11, p.28)とは、バス会社は異なりますが、同じバス停です。先生は、その日、習志野演習場のある北東方向にでなく、南東に向かわれた御様子です。
さて、「自衛隊前」の次は「郷土資料館」。バス停の目前にある船橋市立郷土資料館は、新京成電鉄の習志野駅からも歩いて行くことができる距離にあります。後日、立ち寄りたいと思いますが、今回は、バスに乗ったまま通過、です。
その間、乗客の乗り降りは多く、なかなかの乗車率です。やや渋滞気味となり始めた成田街道は、新京成電鉄の薬園台駅と前原駅の東側を通ります。「前原駅入口」の次の「宇津木堀」は、以前、私が暗闇の中で、木下駅方面という行き先表示を見たバス停に他なりません。
新京成の踏切を渡ったバスは、「前原角」で左折し、「津田沼駅」に到着しました。14時15分頃。定刻14時12分を少し過ぎておりましたが、所要1時間弱の路線バスにしては、たいした遅延ではありません。誤差のようなものです。
下車した直後、そこが津田沼駅の北口であることが分からず、しばし方向感覚を失いましたが、駅に向かって歩いているうちに、自身の位置に気付きました。
習志野市の表玄関は津田沼駅です。しかし、津田沼駅は、船橋市と習志野市の境界に位置しており、バスの降車場も船橋市の側にあります。津田沼駅に到り、ようやく船橋市から習志野市に足を踏み入れることができました。
そして、厳しい夏の暑さの中、総武本線で津田沼から千葉方面に向かいました次第です。
(2015.10.26 記)
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