研究情報 : 十八〜十九世紀の北カフカスの歴史におけるチンギス・ハンの後裔たち
北カフカスにおけるチンギス・ハンの後裔について、以前、小稿「ジュチ・ウルス史研究の展望と課題より」(吉田順一監修, 早稲田大学モンゴル研究所編『モンゴル史研究 現状と展望』明石書店、2011年6月)において、次のように書いている。
西北カフカスの北方に位置するクバン地方のノガイ人のもとにも,クリム汗の子孫が存在し,彼らが「スルタン sultan」の称号を採っていたことが知られる。彼らの網羅的な系譜も学界においては明らかにされていないが,クバン地方はクリム汗国の領域の一部であり,クリム汗家の王子がセラスケル ser ‘asker として滞在し,クリム汗国の滅亡後も「クバン汗国」と称される後継政権が残存していた(A.D.1783〜1792)ので,彼らの出自については,特に疑いを抱く必然性はないであろう。
クバン地方のチンギス・ハン裔であるクリム(クリミア)王族は、カフカス戦争でロシア軍の将官として活躍したスルタン・アザマト=ギレイ sultan Azamat-Girey や、ロシア革命後の内戦において白軍に与して反革命運動に積極的に関わったスルタン・ザビト=ギレイ sultan Zabit-Girey 等が知られている。しかし、彼らの活動・事績については、諸書に断片的な記載があるばかりで、その出自以下、概略を把握することができない状況が、私には続いていた。
そのような中で、旱天の慈雨とも言うべき待望の研究書が現われた。
キプケイェヴァ Z.B.
『十八〜十九世紀の北カフカスの歴史におけるチンギス・ハンの後裔たち』
Кипкеева Зарема Борисовна,
Потомки Чингизхана в истории Северного Кавказа XVIII-XIX вв.
Ставрополь, Издательство Северо-Кавказского федерального универдитета, 2017.
[ISBN 978-5-9296-0891-9]
序
第一章 クリム汗国におけるクバン
ギレイ ── チンギス・ハンの後裔たち
クバン・オルダの長たるバフト=ギレイ(1713-1729)
スルタンたちと露土戦争(1735-1739)
第二章 ノガイ・オルダにおけるスルタンたち
露土戦争におけるクバンとカバルダ(1768-1774)
ノガイのセラスキル, スルタン・カズ=ギレイ
クリム汗国の終焉
第三章 カフカスにおけるロシア国境地帯
カフカス総督区
露土戦争期におけるクバン境界線(1787-1791)
少将スルタン・メングリ=ギレイ
スルタンたちとスコットランドの移住者居住区カッラス Karras
クバン境界線を越境した諸アウルの移動
第四章 五河地方にて
露土戦争期における黒死病
メングリ=ギレイとトルマソフ:平和への期待
ベシュトフ警察長制の繁栄
メドクスの冒険
1813年における外クバン地方におけるノガイ人のベク制
第五章 イェルモロフの時代
カフカス戦争(1817-1864)の始まり
カフカス境界線における改革
1822-1824年における軍事遠征
ベコヴィチ=チェルカッスキイ
第六章 ロシアとトルコの間で
両帝国間の上クバン
露土戦争(1828-1829)直前のエマヌエル
1828年におけるカラチャイ征服
スルタン・メングリ=ギレイと彼の同時代人たち
第七章 外クバン地方にて
中将スルタン・アザマト=ギレイ
クバン・カバルダ境界線
1837年におけるカフカスにおけるニコライ一世
1840年代におけるラビンスク境界線
第八章 スルタンたち ── アーダトの守護者たち
シャリーアトに対抗するアーダト
カラチャイにおける紛争のアーダトにもとづく審議
1847年におけるクム・アウルにおけるシェイフ
第九章 ロシアに服勤して
少将スルタン・カズ=ギレイ
マゴメト・アミンとクリミア戦争(1853-1855)
クバン州におけるスルタンたち
第十章 スタヴロポリエにおけるスルタンたち
1830-1840年代におけるカフカス州におけるノガイ人とアバザ人
スタヴロポリ県からの諸アウルの排除
1859-1860年におけるトルコへのノガイ人の移住
スルタン・ジャニベク=ギレイに敵対する県知事
作家デヴレト・ギレエフ
結論
付録
略語一覧
史料と文献
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本書によると、クバンのチンギス・ハン裔は、クリム汗デヴレト=ギレイ二世の子、バフト=ギレイの子孫である。
「付録」311頁の図版 Таблица 2「スルタンたち Султаны」の系図が、次のとおり掲げられている(書式は変更)。
バフト=ギレイ Baxtï-Girey 1729年没
│ クバン・オルダのセラスケル seraskir
│
└カズ(ガーズィー)=ギレイ Kazï-Girey 1780年以後没
│ クバン・オルダのセラスケル seraskir
│
└アルスラン=ギレイ Arslan-Girey 1802年迄に没
│ クバン・オルダのセラスケル seraskir
│
├メングリ=ギレイ Mengli-girey 1831年没
│ │ 少将 general-mayor
│ │
│ ├アルスラン=ギレイ Arslan-Girey 1853年没
│ │ 騎兵二等大尉 št.-rotmistr
│ │
│ ├トクタミシュ=ギレイ Toxtamïš-Girey 1906年迄に没
│ │ 少佐 mayor
│ │
│ └ジャニベク=ギレイ Janibek-Girey 1906年迄に没
│ 歩兵二等大尉 št.-kapitan
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├マクスード=ギレイ Maksüd-girey 1813年没
│
├バフト=ギレイ Baxtï-girey 1809年没
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│ └カズ(ガーズィー)=ギレイ Kazï-Girey 1807-1863年
│ 少将 general-mayor
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└アザマト=ギレイ Azamat-Girey 1789-1859年
中将 gen.-leytenant
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未公刊の文書史料(一部、オスマン文書も含まれる)をも数多く使用した本書の刊行によって、我々は、ロシアに帰属したクバン・クリム王族に関する基礎情報を、ようやく知ることが可能となった。
よって、ユーラシア各地の歴史に様々な事績を残したチンギス・ハン裔の活動の実態を把握する上で、本書の果たす役割は非常に大きい。
しかし、十八〜十九世紀を対象としている本書には、二十世紀初期における反革命派、スルタン・ザビト=ギレイに関する叙述はない。よって、学術的な価値が高い本書においてさえ、クバン・クリム王族の全体像が十分に明らかにされているわけではないのである。
そのため、ロシア革命期に至る時代をも叙述対象とした続編が現われることを、心より期待する次第である。
ちなみに、著者Z.B.キプケイェヴァ博士には、北カフカスの諸民族の国外離散に関する著書が複数あり、私も、それらのうち次の二冊を所持している。
Z.B.キプケイェヴァ
『北カフカスのアバザ人
十八〜十九世紀における国内・国外移住』
Кипкеева Зарема Борисовна,
Абазины Северного Кавказа :
внутренние и внешние миграции в XVIII − XIX веках.
Ставрополь, ООО 《Мир данных》, 2005.
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Z.B.キプケイェヴァ
『北西および中央カフカスの諸民族 移動と分布
(十八世紀60年代〜十九世紀60年代)』
Кипкеева Зарема Борисовна,
Народы Северо-Западного и Центрального Кавказа:
миграции и расселение
(60-е годы XVIII в.─60-е годы XIX в.).
Москва, Издательство Ипполитова, 2006.
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(2018.3.12)
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