マリー民族撥弦楽器キュスレ再興者
アンナ・シドゥシキナ生誕111周年
2026年1月22日は、ソビエト期のマリー民族音楽家、アンナ・ロマノヴナ・シドゥシキナ Анна Романовна Сидушкина(1915〜1981)の生誕111周年にあたります。
その生涯をマリー音楽文化に捧げたアンナ・シドゥシキナは、マリー民族で初めて高等専門教育を受けた女性にして、撥弦楽器キュスレ(кӱсле)の演奏教育指導法と演奏学校の創設者であり、女性として初めて「マリー自治共和国名誉芸術家」の称号を受けた、キュスレ演奏家・歌手・合唱指揮者・音楽教育者・音楽研究者・民俗学者・作曲家として、マリー・エル共和国において高名な文化人です。
アンナ・シドゥシキナの最大の功績は、二十世紀前半に消滅の危機に瀕していた撥弦楽器キュスレを再興し、これをマリー民族の民族的象徴にまで高める役割を果たしたことでしょう。
キュスレ(山地マリー語ではカルシュ кӓрш)は、ロシア語で「マリーのグースリ Марийские гусли」とも称される、翼型〜半楕円台形型のツィター系の撥弦楽器です。同系の楽器は、ヨーロッパのウラル系諸民族においては、カレリア人を含むフィン人のカンテレ kantele や、エストニア人のカンネル kannel が知られております(ウドムルト人のクレズ крезь は、伝統が途絶した後、ソビエト最末期に復活しました)。
キュスレは長らく、儀礼や自然崇拝系伝統宗教「チマリー・ユラ Чимарий йӱла」のための演奏のほか、歴史叙事詩 ――「カザン占領における老人トタルの歌」(песня старика Тотара при взятии Казани )なるものもあるとの由です ―― 等の演奏に用いられておりました。しかし、ロシア正教の拡大に伴い、ロシアのグースリと同様、「異教の楽器」と見做され、地域によっては演奏が禁じられ、十九世紀末には衰滅に向かっておりました。さらに、マリー民族社会の近代化に伴い、日常生活からも次第に忘れ去られ、1920〜30年代にはキュスレ演奏の伝承者 ── キュスレゼ кӱслызӧ (кюслезе) ── は数えるほどしか残っていないという状況にありましたようです。しかし、1950〜60年代における、ソビエト諸民族の伝統文化保護政策のもとで、キュスレは見事に再興を遂げました。
この時に、キュスレの伝統的奏法を古い世代から伝承し、新たな発展へとつなげた特筆すべき功労者の一人が、アンナ・シドゥシキナでした。
彼女の事績については、次のサイトに紹介されております。
・Анна Романовна Сидушкина (В пении струн душа народа)
https://toydemar.narod.ru/web/rodnik.htm
・МУЗЫКАЛЬНАЯ НЕДЕЛЯ. Слушаем винтажный винил: Марийские гусли (кўсле). А. Р. Сидушкина | Национальная библиотека имени С.Г. Чавайна Республики Марий Эл
https://nbmariel.ru/content/muzykalnaya-nedelya-slushaem-vintazhnyy-vinil-mariyskie-gusli-kusle-r-sidushkina
・Лӱмлӧ кӱслезе, семмастар А.Сидушкиналан шарныктыш оҥа • «КУГАРНЯ»
https://кугарня24.рф/l-ml-k-sleze-semmastar-a-sidushkinalan-sharnyktysh-o-a/
ここでは、アンナ・シドゥシキナによるキュスレ弾唱の歌を二曲を聴くことができます。
1. Песня о родине
2. Толын шон вет верема
一曲目の「故郷についての歌 Песня о родине」は、キングレコードから発行された『世界民族音楽大集成 68 北コーカサス、ウラル、シベリアの音楽』(King Record Co.Ltd., 1992年7月)[KICC 5568] にも収録されております。

#13.「故郷の歌(マリの歌)」
Song of the Homeland (Mari song)
voice, kyusle: A.Sidouchkina
既にマリー民族の言語学者Yu.V.アンドゥガノフを紹介した拙小文で述べたように、本CDの原盤は、メロディヤ盤のLPレコード、Musical Art of the Peoples of the USSR: Instrumental Music of the Northern Caucasus Mationalities and Kalmyk Instrumental Music; Instrumental Music of the Volga and Urals Areas Nationalities. Москва, Мелодия, n.d. [С90 23263-23264] で、フランスのシャン・デュ・モンドでジャケットを改め、Voyage en URSS 9: Caucase du Nord / Volga-Oural. Le Chant du Monde, n.d. [LDX 74009] として発売されたものです。
Face 2, #3. Chanson du pays natal, chanson marii
A.Sidouchkina : chant, kiousle
聴く人が限られていたとはいえ、日本でも1990年代にはアンナ・シドゥシキナの演奏に接することができた次第です。しかし、私自身もそうでしたように、演奏者が如何なる人であるのかは知る由もありませんでした。
アンナ・ロマノヴナ・シドゥシキナ Анна Романовна Сидушкина(シリドゥシキナ Сильдушкина)は、1915年1月22日、現在のマリー・エル共和国東部に位置する、ニジニ=ノヴゴロド県(Нижегородская губерния)ヴァシリスル郡(Васильсурский уезд)イェマンガシュ郷(Емангашская волость)ニジネイェ・シャルチコヴォ Нижнее Шалтьково 村(現、マリー・エル共和国山地マリー地区 Горномарийский район / Курыкмарий район ヤシモルキノ村 деревня Яшмолкино)で貧しい農民の家庭に生まれました。幼少期から伝統音楽に親しみ、両親の指導のもとで、キュスレ、バイオリン、バラライカ、ガルモシカ гармошка(アコーディオン)を自作し、七歳のころから、村の祭礼や結婚式で楽器を演奏しておりました。
マリー自治州の州都ヨシカル=オラ市での進学を夢見ていた少女アーニャ(アンナ)は、故郷の村から20km離れたヴァシリスルスク Васильсурск の別荘地で妹と共に行なった即興キュスレ演奏会が大反響を巻き起こし、彼女たち姉妹のもとに、まとまったお金が入り、その原資金によりヨシカル=オラ市で進学することができました。
1934年夏、アンナ・シドゥシキナはヨシカル=オラ芸術中等学校(Йошкар-Олинский техникум искусств)に入学し、合唱指揮と合唱を専攻し、熱心に学ぶと同時に、合唱団で歌い、演奏会に出演し、地元ラジオ局でキュスレを演奏しました。合唱団(1933年結成)では、ヤコフ・エシュパイ Яков Андреевич Эшпай(1890〜1963)── 著名作曲家アンドレイ・エシュパイ Андрей Яковлевич Эшпай の父 ──、イワン・パランタイ Иван Степанович Палантай(1886〜1926)、アレクセイ・イスカンダロフ Алексей Искандарович Искандаров(1906〜1966)が編曲したマリー歌曲が主に歌われておりましたが、故郷の山地マリーの民謡を編曲する必要性があると考えた彼女は、早くも1934年に、作曲家兼研究者で、後に彼女の伴侶となったクジマ・スミルノフ Кузьма Алексеевич Смирнов(1917〜1963)── マリー交響楽創始者の一人で、最初のマリー交響曲『中断された休日 Прерванный праздник』(1947年)の作曲者 ── のもとで約10曲の民謡を歌い、それらは録音されました。また、在学中の1936年春、マリー自治州立合唱団の合唱団員兼キュスレ奏者としてモスクワを訪れ、4月10日〜18日、公演を行い、レコード録音が行われましたが、その中には彼女によるキュスレ演奏も含まれております。
マリー自治州がマリー自治共和国に昇格(1936年12月5日)した後の1938年、ヨシカル=オラ芸術中等学校を卒業したアンナ・シドゥシキナは、P.I.チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に入学し、ウラディスラフ・ソコロフ Владислава Геннадьевича Соколов(1908〜1993)のクラスで指揮・合唱部門に在籍し、正式な音楽教育を受けることができました。音楽院で「貪欲に、狂ったように勉強した」彼女は、「大祖国戦争」勃発前に、音楽院での三年間の学業を修了して、マリー自治共和国に戻りました。
「大祖国戦争」中の1941〜44年には、マリー国立フィルハーモニー管弦楽団のキュスレ演奏家として、前線演奏旅団(фронтовая концертная бригада)の一員となり、慰問演奏活動に従事して、集団農場(コルホーズ)や軍部隊を巡回し、キュスレを演奏し、マリー語の歌を歌い、人々の志気を高めるために尽しました。戦時中、マリー人の村落に居住していたアンナ・シドゥシキナは、クジマ・スミルノフと共に、エラソフ地区 Еласовский район の山地マリー人の民謡を採集・録音しております。
戦後の1946年、あらためてモスクワ音楽院の指揮・合唱科を卒業したアンナ・シドゥシキナは、1948年まで、I.S.パランタイ記念マリー自治共和国音楽大学で合唱教師として勤務しました。1948年、マリー国立フィルハーモニー管弦楽団キュスレ演奏者アンサンブルの芸術監督に就任し、音楽家パーヴェル・ステパノヴィチ・トイデマル Павел Степанович Тойдемар(1899〜1958)── 楽器名匠M.I.マルケロフ Михаил И.Маркелов と共に、キュスレをはじめとするマリー民族楽器の「改良」を行なったことでも知られております ── と共に活動しました。1952年11月6日、マリー自治共和国は、文化芸術へのアンナ・シドゥシキナの貢献を高く評価し、彼女にマリー自治共和国名誉芸術家の称号を授与しました。
1957年、ヨシカル=オラ音楽学校において、彼女が発起人となり、キュスレ学科が開設されます。彼女は、指揮部と合唱部で活動するかたわら、キュスレ演奏者の育成に尽力し、伝統的に耳からのみ覚えていたキュスレ演奏に対し、新たに楽譜を導入して、キュスレの教育方法を確立しました。また、キュスレ演奏のために、様々な音楽分野の作品を編曲しました。そして、1963〜1970年、マリー国立教育大学(Марпединститут)で上級講師として教鞭を執り、音楽理論、合唱指導などを担当しました。
また、彼女は、キュスレ・アンサンブル「ペレドィシュ Пеледыш」を結成し、また、民俗芸術会館(Доме народного творчества)の民俗アンサンブル ── 1974年に文化省の主導で「マリー・パマシュ Марий Памаш / Марийский родник(マリーの春)」となりました ── にて活躍し、マリー音楽文化の発展に大いに寄与しました。
音楽研究者としては、アンナ・シドゥシュキナは、1933年以来、マリーの民謡や旋律を採集・録音しました。彼女は、夫のクズマ・スミルノフと共に、マリー民族音楽の保存と普及に尽力し、二人が録音した民謡は、1951年に『マリー民謡 Марийские народные песни』、1958年に『四十首のマリー民謡 Кырык мары халык мырывлӓ』として出版されました。なお、ソビエト体制下で不遇をかこち酒乱となった夫、クズマ・スミルノフが1963年に自殺するという不幸が、彼女の身の上にありました。
1967年に出版された、アンナ・シドゥシュキナとリディヤ・スクルキナ Лидия Петровна Скулкина ── 1928年、山地マリー地区のミトリャエヴォ村 деревня Митряево 生まれ ── の共著、『キュスレ。カルシュ。グースリ Кӱсле. Кӓрш. Гусли』は、キュスレ演奏者のための最初の技法解説出版物であり、若い世代が今日に至るまで学んでいるとの由です。
1980年、ソ連邦国営レコード会社「メロディヤ Мелодия」は、「ソ連邦の諸民族の音楽 Музыка народов СССР」シリーズの一枚として、アンナ・シドゥシキナのキュスレ演奏によるマリーの歌と旋律を収録したレコード『マリー・セム マリーの旋律 Марий сем. Марийские мелодии』(33Д―00034589)を発行しました。
そのレコードに収録されている、彼女のキュスレ独奏による佳曲「Малын тенге йӓнгем йыла」(何故、親しきあなたよ、私の心は痛むのか)の演奏は、次のサイトで聴くことができます。
・МУЗЫКАЛЬНАЯ НЕДЕЛЯ. Слушаем винтажный винил:.. Видео | ВКонтакте
https://vkvideo.ru/video-133336137_456240661
「Малын тенге йӓнгем йыла」(または「Малын тенге йӓнгем йыла」)のキュスレによる合奏は、ソ連邦最末期のモスクワ放送の日本語放送「ソ連諸民族のメロディー」において、「マリースキー・ロドニク」すなわち「マリー・パマシュ」による演奏で、曲名を挙げることなく放送されました(放送年月日は記録しておらず未詳)。この五音階の美しい旋律を持つ曲の名を知ることができないまま三十有数年の歳月が過ぎましたが、本サイトによって、ようやく曲名が判明いたしました次第。
この「Малын тенге йӓнгем йыла」の曲には歌詞があり、無伴奏の独唱が、次のサイトで視聴できます。
・Марина Родина - Малын тенге йангем йыла...
https://ok.ru/video/4511436245611
歌を歌っているマリナ・ロディナについては、ロシア連邦だけでなくウクライナにも同名の人がおり、ネットの海の中から本人を探し出すのが困難で、詳細は分かりませんが、このサイトのコメント欄には、マリー語(おそらく山地マリー語)で「とても良い声、美しい…心にしみます」、「良い声です、とても美しい良い声です、いつまでも歌い続けてください」、「私はこの歌が大好きです、マリナは本当に上手ですね。心が震えます、本当に!!!」という称賛の声が載っております。
なお、どうでもよい話ですが、曲名「Малын тенге йӓнгем йыла」中の「тенге」は、当初、テュルク語「貨幣 täŋgä〜teŋge」の借用語なのだろうか、と憶測していたのですが、無関係でした。
それはさておき、アンナ・シドゥシキナは、次世代のキュスレ演奏家・研究者・教育者 ── ファイナ・エシュミャコワ Фаина Викторовна Эшмякова(1956年生) ほか ── を育成し、また、マリー自治共和国の各地に設立された、あらゆるキュスレ合奏団と緊密な関係を保ち、晩年に至るまでマリー民族文化の発展のために尽くしましたが、1981年1月22日、自身の65歳の誕生日に死去しました。よって、本日、2026年1月22日は、彼女の没後45周年の忌日にもあたります。
アンナ・シドゥシキナの言葉、「Пусть всегда звучат гусли, пусть они славят нашу вольную и счастливую жизнь」──「絶えずグースリ(キュスレ)が鳴り響きますように。キュスレが私たちの自由にして幸福な生活を讃えますように」── が、ロシア連邦国民たるマリー民族に実現するためにも、隣国の無辜の民衆を踏みにじって止まないロシア連邦軍が一刻も早く、クリミア半島を含むウクライナ共和国の領土から撤兵することを、あらためて強く願っております。
(2026年1月22日記)
※ 撥弦楽器キュスレについては、次のサイトをも参照しました。
Марийские гусли | Марийские Лесоходы - 27.04.2019
https://komanda-k.ru/марий-эл/марийские-гусли
|
|
|