油地獄
イサーク・レヴィタン生誕百五十周年
昨年、二〇一〇年は、ウクライナ出身のロシア風景画家アルヒプ・クインジの歿後百周年にあたり、ロシア美術館 Русский музей から画集が刊行されたが、一方、トレチヤコフ美術館 Государственная Третьяковская галерея からは、イサーク・レヴィタンの重厚な画集が刊行された。昨年は、レヴィタンの生誕百五十周年にもあたっていたのであった。
国立トレチヤコフ美術館
『イサーク・レヴィタン 生誕150周年によせて』
Государственная Третьяковская галерея,
Исаак Левитан.
К 150-летию со дня рождения.
Москва, Издательство《Аякс-пресс》, 2010.
クインジと異なり、レヴィタンは、美術史家の間において「十九世紀ロシア最大の風景画家」として高い評価が既に定まっている。確かに素晴らしい絵である。何と言っても端正で格調が高い。しかし、クインジの絵を見るときに感じるような衝撃度は比較的小さく、四十路前に死去した画家の薄命が絵の中に現れているような印象を受ける作品も少なくない。
チェーホフの肝胆相照らす友人としても知られるレヴィタンは、「a famous lady-killer」であったという(И.В.Евдокимов, Левитан и Софья Кувшинникова. Москва, Алгоритм, 2007 の紹介文による)。画業を見る限りでは、そのような一面はなかなか想像し難い。さすが芸術家の世界は奥が深い。
さて、レヴィタンはユダヤ人で、リトアニアのキバルタ村の出身。と聞いて、村名に何となくモンゴル=テュルク系の響きがあるような気がしたので、「さてはカライム人(カライ派)か」と思った。カライム人であれば、母語(キプチャク=テュルク系のカライム語)でクインジと会話できたはずである。しかし、そうではないようである。カライム人の居住地として挙げられた地名の中に、その村の名はなかった。
(2011.9.3)
|
|