戦禍のマリウポリとクリミア・ギリシア人

 202236日午前の時点において、ウクライナを侵略するプーチンのロシア軍によって包囲攻撃されているドネツィク(ドネツク)州南部、アゾフ海北岸の港湾都市マリウポリ Маріуполь / Мариуполь は、極右団体「アゾフ連隊」の根拠地として今や有名になってしまっております(その関係上、ネット上には虚偽情報が大量に流れており、頭がクラクラします)が、私個人にとりましては、マリウポリとは、画家アルヒプ・クインジの出身地です。
 参考雑文:
 ・三たびクインジ
 ・ロシア美術館のアルヒプ・クインジ
 ・A.I.クインジ歿後百周年によせて
 マリウポリ市には、A.I.クインジ記念マリウポリ美術館 Мариупольский художественный музей им А. И. Куинджи もあります。ただし、クインジの絵画作品の大部分は、ロシア国内に所蔵されております(参考:ロシア語版ウィキペディアのクインジ絵画目録:https://ru.wikipedia.org/wiki/Список_картин_Архипа_Ивановича_Куинджи ※ これは、あくまでも参考です)。
 マリウポリ市の歴史は1778年の聖マリア教会の建設に始まり、1779年、教会の名と、ロシア皇太子妃マリア・フョードロヴナにちなんで命名されました。この町は、クリミア汗国最末期の1778年にクリミアから退去したクリミア・ギリシア人の受け入れ先となり、1780年、クリミア・ギリシア人はマリウポリと その周辺に大挙、移住しました。マリウポリ近郊に形成されたクリミア・ギリシア人の新しい村には、クリミア半島の故郷の名が付けられました。また、グルジア人とヴラフ(ワラキア)人も、クリミア・ギリシア人と同様、マリウポリ近郊に新しい村を作っております。
 クリミア汗国滅亡後、クリミア・ギリシア人の一部はクリミアへ帰還しましたが、大部分はマリウポリとその周辺23箇村にとどまりました。
 クリミア・ギリシア人の商業の町マリウポリは、1882年の鉄道建設と、1889年の新商業港の開業、1897年の鉄工所の開設により、近代商工業都市として急速に発展しました。1897年の国勢調査によると、マリウポリの総人口は31千人で、うち19670人がロシア人、4710人がユダヤ人、3125人がウクライナ人、そして、先住のギリシア人は1590人と人口比率を大きく下げております。
 マリウポリとその周辺のクリミア・ギリシア人は、もともと、テュルク系のウルム語(урум дили, урум тили)を話す多数派のウルム人(урум, урумлар)と、中世ギリシア語の特徴を残すギリシャ語の沿アゾフ(タヴロ=ルメイ)方言(приазовский (таврорумейский) диалект)すなわちルメイ語(румейка, ромейка)を話す少数派のルメイ人(румеюс, ромеюс, румэйс / Ρωμαίιος)から構成されておりました。しかし、彼らは、20世紀のうちに大多数がロシア語化してしまい、2001年の統計では、マリウポリを含むドネツィク(ドネツク)州のギリシア人(греки77516人のうち、民族語(つまりウルム語またはルメイ語)を母語とするのはわずかに4153人、ウクライナ語を母語とするのは2502人、ロシア語を母語とするのは70737人、その他の言語を母語とするのは112人、となっております。

 さて、報道によりますと、2022226日、ロシア連邦軍がウクライナに侵略戦争を仕掛けたまさにその日、ロシア軍の空爆によりマリウポリでギリシア人10人が死亡しました。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    日本経済新聞
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB271400X20C22A2000000/
    ウクライナでギリシャ人10人死亡 ロシア軍の空爆で

    ウクライナ侵攻
    2022年2月27日 11:54

    ・・・・・
    ギリシャ外務省の発表などによると、空爆があったのはウクライナ南東部の港湾都市マリウポリ近郊の複数の都市で、26日に駐在員などとして現地にいたギリシャ人計10人が死亡した。ロイター通信によると、マリウポリとその近郊には多くのギリシャ人が住んでいるという。
    ――――――――――――――――――――――――――――――――

 当初、私は、「マリウポリにはクリミア・ギリシア人が居住しているので、その縁もあって、ギリシア共和国の商社が進出していて、不運にも戦争に巻き込まれたのであろう」と理解しておりました。
 しかし、本日、202236日に至り、ロイター通信の報道にたまたま接し、愕然といたしました。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    Reuters
    ロシア軍の空爆でギリシャ人10人死亡、ウクライナ東部 | ロイター
    https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-greece-fatalities-idJPKBN2KW0EP

    ワールド
    2022年2月27日7:54 午後
    ロシア軍の空爆でギリシャ人10人死亡、ウクライナ東部
    By Reuters Staff
    ・・・・・
    [アテネ 26日 ロイター] - ギリシャ政府は26日、ロシア軍によるウクライナ東部の都市マリウポリ付近への爆撃で、ギリシャ国民10人が死亡、6人負傷したと発表した。
    ギリシャのミツォタキス首相は「何の罪もないギリシャ国民がきょう、マリウポリ近郊でのロシア軍の空爆により殺害された。今すぐ爆撃を止めよ!」とツイッターに投稿した。
    ギリシャ外務省によると、爆撃はサルタナ村とブガス村郊外で起き、負傷者の1人は子どもだったという。
    外務省は市民を標的にした空爆を非難。空爆と市民への攻撃を即時停止するようロシアに求めた。
    ロシア大使には28日に外務省に来るよう要求したとしている。
    マリウポリには数千人のギリシャ人が居住している。
    サルタナ村とブガス村郊外で起き、負傷者の1人は子どもだったという。
    外務省は市民を標的にした空爆を非難。空爆と市民への攻撃を即時停止するようロシアに求めた。
    ロシア大使には28日に外務省に来るよう要求したとしている。
    マリウポリには数千人のギリシャ人が居住している。
    ――――――――――――――――――――――――――――――――

 「サルタナ村とブガス村」! これは、まぎれもなく、ルメイ人の村です...
 この報道記事には「ギリシャ国民」とありますが、被害に遭ったギリシア人とは、マリウポリの先住クリミア・ギリシア人に違いありません。
 そこで、英語の原文を確認してみますと、案の定、でした。

    ――――――――――――――――――――――――――――――――
    Russian airstrikes kill 10 Greeks, eastern Ukraine | Reuters - Archyde
    https://www.archyde.com/russian-airstrikes-kill-10-greeks-eastern-ukraine-reuters/

    Russian airstrikes kill 10 Greeks, eastern Ukraine | Reuters
    February 27, 2022

    ・・・・・
    [Athens, 26th Reuters]-The Greek government announced on the 26th that Russian troops bombed the city of Mariupol in eastern Ukraine, killing 10 Greeks and injuring 6 others.

    Greek Prime Minister Konstantinos Mitsotakis posted on Twitter, “Innocent Greeks were killed today by Russian airstrikes near Mariupol. Stop the bombing now!”

    According to the Greek Ministry of Foreign Affairs, the bombing took place in the suburbs of Sultana and Bugas, and one of the injured was a child.

    The Ministry of Foreign Affairs has accused the airstrikes of targeting civilians. He urged Russia to immediately stop air strikes and attacks on civilians.

    He said he requested the Russian ambassador to come to the Ministry of Foreign Affairs on the 28th.

    Mariupol is home to thousands of Greeks.
    ――――――――――――――――――――――――――――――――

 ロシア軍の空爆によって殺されたのは、ギリシア国民ではありません。絶滅危惧言語であるルメイ語を話す人々が含まれる、ウクライナのクリミア・ギリシア人の少数派集団、ルメイ人の村民です。
 ソビエト時代の集団化政策のもとで、ルメイ人も甚大な人的損失を被りました。その彼らは、今や、プーチンのロシア侵略軍のために、破滅的な状況に陥っております...
 聖母マリアの名をいただく港湾都市は、将来、大惨劇の町として、歴史上に名前を残してしまうのでしょうか...
 ただちにプーチンが失脚し、ロシア軍が早急にウクライナの地から撤兵し、戦火が一刻も早く止むことを、念じ、祈っております。
202236日記)

    参考資料(ネットは202236日に閲覧):
    А.А.Новик, Мариупольские греки, Большая российская энциклопедия, 2010.
     A.A.ノヴィク「マリウポリ・ギリシャ人」『大ロシア百科事典』
      https://bigenc.ru/ethnology/text/2186217
    Alexander Garkavets, North Azovian Urums - Greeks Speaking Turkic Language.
     アレクサンドル・ガルカヴェツ「北アゾフ地方のウルム人 テュルク語を話すギリシア人」
      http://www.qypchaq.unesco.kz/urums-en.htm
    Гаркавець Олександр Миколайович, Урумський словник. Алма-Ата: Баур, 2000.
     O.M.ガルカヴェツ『ウルム語語彙集』
      http://www.unesco.kz/qypchaq/Urum_Dictionary.htm
    Лингвистическая и этнокультурная ситуация в греческих селах Приазовья: По материалам экспедиций 2001―2004 годов. / Ответственный редактор М.Л.Кисилиер. Санкт-Петербург: Алетейя, 2009.
     『沿アゾフ地方のギリシア人諸村の言語的・民族文化的状況:2001年〜2004年の現地調査の諸資料による』(M.L.キシリエル主編)
      https://iling.spb.ru/pdf/kisilier/greki_priazov.pdf
    V.V.バラノヴァ『言語と民族アイデンティティ 沿アゾフ地方のウルム人とルメイ人』
     Баранова Влада Вячеславовна, Язык и этническая идентичность. Урумы и румеи Приазовья. Москва: Издательский дом Государственного университета ─ Высшей школы экономики, 2010.



 新聞各紙一面のトップ記事が「マリウポリ」の文字でかざられており、大いに心を傷めております。マリウポリと、その地のギリシア民族につきましては、ここでも既に言及しておりますが、また、新たな報道がありました。

https://www.reuters.com/world/europe/what-i-saw-i-hope-no-one-will-ever-see-says-greek-diplomat-returning-mariupol-2022-03-20/


(日本語翻訳)
「私が見たものは、けっして誰も見ないことを私は願っています」
と、マリウポリから戻ったギリシアの外交官は述べる。
ロイター
アテネ、3月20日(ロイター) - 包囲されたウクライナの港町を避難退去した最後のEU外交官、マリウポリにおけるギリシア総領事が、日曜日に、その都市は、過去の戦争にて破壊されたことによって知られている場所の列に加わりつつある、と述べた。

 マノリス・アンドルラキス Manolis Androulakis は、ロシアのウクライナ侵略以来、廃墟と化した街から何十人ものギリシア国民とギリシア民族が避難退去するのを支援してきた。彼は、十人の他のギリシア国民といっしょに、火曜日にマリウポリを去り、ウクライナを横断する四日の旅の後、モルドバを通り抜けてルーマニアへ渡った。
 「私が見たものは、けっして誰も見ないことを私は願っています」とアンドルラキスは、日曜日にアテネ国際空港に到着し、彼の家族と再会した際に述べた。
 「マリウポリは、戦争によって完全に破壊された諸都市のリストの一部になるでしょう;私はそれらを名付ける必要はありません - それらはゲルニカ、コヴェントリー、アレッポ、グロズヌィ、レニングラードです」とアンドルラキスは述べる。
 ギリシア外務省によると、アンドルラキスは、ロシア軍が支配下に置くことを求めるために、多くの住民が二週間以上にわたって激しい爆撃の下に閉じ込められ続けているマリウポリを去った最後のEU外交官であった。
 ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーは土曜日に、ロシアのマリウポリ包囲は、「来たるべき何世紀にもわたって記憶されるであろう恐怖(テロ)」であると述べた。
 ロシアがマリウポリを攻撃し始めてから、少なくとも10人のギリシア民族が殺害され、数人が負傷した。150人以上のギリシア市民、船員、ギリシア民族が、その地区から避難退去している、とギリシア外務省は述べる。
 戦前には40万人以上の都市、マリウポリは、ビザンティン時代からその地域にて貿易と海運に活動してきたギリシア民族の相当な大きさの人口を、歴史的に抱えてきた。



 最後の段落における「ビザンティン時代からその地域にて」という一句は、歴史的には不正確ですが、ともかく本報道によりますと、マリウポリから脱出できたギリシア人は150人ほどとのことです。ということは、ほとんどのクリミア・ギリシア人はマリウポリにとどまったままであるということです。
 ナチス・ドイツがクリミア半島を占領した際に、クリムチャク人(クリミアの正統派ユダヤ教徒)は、全人口の四分の三が殺害されました(『テュルクを知るための61章』(明石書店, 20168月)コラム1「ユダヤ教徒のテュルク ── クリムチャクとカライム」)。そして、2022年には、クリミアにおけるギリシア正教徒の後裔であるマリウポリのクリミア・ギリシア人が、絶滅危惧言語である二つの固有言語、ウルム語(テュルク系)とルメイ語(中世ギリシア語系統)とともに抹殺されつつあります...
 クリミア汗国のもとで民族形成を遂げた両民族、クリムチャク人とクリミア・ギリシア人の近現代史は、苛酷なものでしたが、ここに、マリウポリの先住民族集団、クリミア・ギリシア人は、正真正銘の「民族浄化」に瀕しております。一刻も早くプーチンが失脚し、ロシア軍が撤兵することを、強く念じます。
2022.3.23.記)

追記
 マリウポリのクリミア・ギリシア人につきましては、「アゾフ・ギリシア人遺産協会 Ассоциация Наследия Азовских Греков (АНАГ)」という団体(https://www.azovgreeks.com/agha/index_ru.html)が、「アゾフ・ギリシア人 Азовские Греки / Azov's Greeks(https://www.azovgreeks.com/)」というサイトを公開しております。本サイトの連絡先を確認してみますと、この団体はロシア側に所属していることがわかります。サイト内には、不自然なほどにマリウポリの現況に関する文章上の言及がありません。しかし、サイト画面の中心に位置する映像は、・・・・・


戻る