三たびクインジ

 先日、ロシアから、A.I.クインジの小画集が到来しました。既に紹介したイリーナ・ゴリツィナ『アルヒプ・クインジ』ロシア美術館『アルヒプ・クインジ ロシア美術館の蒐集物から』に次ぐ、三度目の“クインジ本”です。

V.V.ダニェーツ Donets
絵画芸術の巨匠たち アルヒプ・クインジ』

Donets 2011
Вера Всеволодовна Донец,
Архип Куинджи.
(Великие мастера живописи)
Москва, ОЛМА Медиа Групп, 2011.

 本書冒頭(стр.2)の内容紹介文には、次のように書かれております。
《光の画家 художник света》と呼ばれたアルヒプ・イヴァノヴィチ・クインジの作品は、光輝く、そして、唯一無二の一頁として、ロシア藝術史に現れた。
 彼と同時代の巨匠たちの大部分とは異なり、クインジは、実景を見てはめったに創作せず、外光画法(пленэр)に熱中しておらず、彼の風景画 ── 深く考え抜かれた、そして、はっきりと配列された ── には、自然の描写はなく、その生気、律動、心魂への解釈があった。
 クインジの絵画に現れた、目も眩むほど非常にすばらしい世界は、魅了された観衆を、おもしろくもない ありふれたことから、自然の実存の高き神秘へと連れ去っていた。

 [本]画集(альбом)は、広汎な読者層のために用意された。

 本書は、クインジの生涯と、代表的な作品の解説を伴った、一般向けの美術書ですが、残念なことに、図版の絵画には、焦点が合っていないような不鮮明な映りのものが少なからず含まれております。他の画集あたりから転載したものでしょうか。しかし、本書には、クインジを対象とした風刺画が二点、載せられているのが興味深いです。

 ところで、米国で刊行された或る美術辞典にクインジについての項目がありましたので、それを紹介してみます。
The Dictionary of Art edited by Jane Turner, in thirty-four volumes, 1996.
Macmillan Publishers Limited, London; Grove's Dictionaries Inc., New York.
Vol.18.

クインジ, アルヒプ(イヴァノヴィチ)Kuindzhi, Arkhip (Ivanovich)
(1842年? ウクライナ, マリウポリ Mariupol 生まれ。1910年7月11日 サンクト=ペテルブルグで死去)
 ロシアで活動したウクライナの画家。
 初め、画家として独学であり、海洋画家イヴァン・アイヴァゾフスキー Ivan Aivazovsky による受験指導にもかかわらず、二度、サンクト=ペテルブルグ・アカデミーの入試に落ちた。しかし、1868年、彼は学外聴講生として受け入れられた。
 彼は、保守主義的偏見と、彼の初期の経歴を通じてずっと続いた貧困に抗して、写真を修整することによって彼の収入を補いつつ、たゆまず目的を貫き通した。
 彼の初期の風景画において、彼はしばしば季節的な雰囲気を捉えようと求めた。「秋のぬかるみ」Autamn Mud(1872年; サンクト=ペテルブルグ, 国立ロシア博物館蔵)におけるが如く。
 しかし、より人間的な核心は、彼が移動美術展協会に加わった1874年より後に顕著である:「ウクライナの夕べ」Evening in Ukraine(1878年; サンクト=ペテルブルグ, 国立ロシア博物館蔵)において、村の家々は、眺望の背景に屹立する。
 しかし、クインジの第一の興味は、光にある。そして、彼は、鮮烈な色彩、明暗配分のコントラスト、および、簡潔であるが器用に表現された意匠を用いることによって、際立った効果を獲得した。「白樺の木立ち」Birch Grove(1879年; モスクワ, トレチヤコフ美術館蔵)のような壮観な絵は、同時代の観覧者たちを非常に感銘させた。
 実験の年々を通じて、クインジは、高度に独創的な技法を発展させたが、その技法を彼は、ますます象徴的な、時にほとんど幻想的な、主題の表現法に適用した。雪を頂いた山々と月光(例えば、「エルブルス:月夜」Elbnis【ママ】: Moonlight Night, 1890-95年; モスクワ, トレチヤコフ美術館蔵)のような主題の。
 彼が使った絵の具における欠陥のため、彼のカンヴァスの多くは、まもなく黒ずんだ。
 傑出した教師たる彼は、サンクト=ペテルブルグ・アカデミーの風景画部門を、1894年から1897年まで指導した。
 彼の影響は、アルカディー・ルィローフ Arkady Rylov やニコライ・リョーリフ Nicholas Roerich のような創作者たる門人らを含んだ、同様に抒情的な作風で描く風景画家学派の成立に至らしめた。
文献
 J.E.Bowlt: The Silver Age: Russian Art of the Early 20th Century and the World of Art Group (Newtonville, 1979, rev.2/1982), pp.21-4,177,275.
 O.P.Voronova: Kuindzhi v Peterburge [Kuindzhi in St Peterburg] (Leningrad, 1986)
 V.S.Manin: Kuindzhi i yego shkola [Kuindzhi and his school] (Leningrad, 1987)
Kenneth Archer

 ここに挙げられている「白樺の木立ち」Березовая роща は、上掲、ダニェーツの著作の表紙を飾っている絵に他なりませんが、この辞書項目に、クインジの代表作「ドニエプルの月夜」Лунная ночь на Днепре についての言及がないのは、甚だ不審に思われます。
 それはともかく、理想主義者としての生涯を貫こうと努めたクインジの青年期には、挫折と苦労の多かったことが知られますが、彼が、門弟たちに慕われ、敬愛された教師と成り得た理由の一つは、そこにあるのかも知れません。
 なお、クインジ(クリミア=ギリシア人(ウルム人)出身)の師匠、アイヴァゾフスキーは、日本でも比較的よく知られている画家ですが、彼も、民族的にはロシア人でなく、クリミアのアルメニア人です。クリミアのアルメニア人は、ジュチ裔諸政権の歴史を研究する上で重要な史料を残しておりますので、私の専門分野にとりましても、たいへんに注目すべき集団です。
 クリミアとその周辺には、クリミア=タタール以外にも、テュルク系ユダヤ教徒であるカライム、クリムチャク両集団など、さまざまな人々が居住しております。民族集団としては消滅してしまったクリミア=ゴート人を含め、クリミアの諸集団の歴史には、いろいろと興味深い諸問題が多くあります。まだ私自身にも、十分には事実関係を確認することができておりませんので、今後、さらに学んでいかなければならない、と思っております。
(2012.2.7)

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