アルメニアで刊行された、 アイヴァゾフスキーに関する美術研究書
十九世紀のロシアの海洋画家として非常に名高いアイヴァゾフスキー Иван Константинович Айвазовский は、その82年の生涯において六千点の作品を残すという多作によっても知られている。単純計算すれば、ほぼ数日に一点の割合で絵画を量産しているという勘定となるが、ともかく驚くべきことである。
その豪放な海洋画のいくつかは、展観によって日本でもしばしば紹介されているが、次のアルメニア刊の美術研究書は、彼の生涯と画業の大要を把握する上で、たいへんに有益であるように思われる。
シャヘン・ハチャトリャン『ホヴァンネス・アイヴァゾフスキ』
Šahen Xačatryan, Hovhannes Ayvazovski.
Шаэн Хачатрян, Ованес / Иван / Айвазовский.
Shahen Khachatourian, Hovhannes / Ivan / Aïvazovski.
[Yerevan], CJSC Tigran Mets Publishing House, [2011].
ISBN 978-99941-0-309-6
アルメニア語・ロシア語・フランス語の三言語で書かれ、多くの絵画作品が掲げられている本書によると、イヴァン・K・アイヴァゾフスキーは、クリミアのフェオドシア Феодосия(オスマン帝国時代のケフェ Kefe)における聖サルキス Sarkis ・アルメニア教会の誕生・洗礼台帳に、アルメニア人ケヴォルク・アイヴァズャン Gevorg Ayvazyan の子ホヴァンネス Hovhannes として1817年7月17日に出生したと記されているという。
彼の父方の祖は、十八世紀に、オスマン帝国の支配下にあった西アルメニアのアニ Ani から、ポーランド南部のガリツィヤ Galicia に移住したという。ポーランド風の「Hayvazovsky(Ayvazovsky)」姓をも使用した、彼の父ケヴォルク・アイヴァズャンは、十九世紀初、商人としてフェオドシヤに到り、フリプスィメ Hripsime という名のアルメニア人女性と結婚し、ホヴァンネス(アイヴァゾフスキー)等、三男二女を儲けたとの由である。
周知のように、アルメニア商人は、西アジアとその周辺諸地域における国際的な商業活動に従っていたが、アイヴァゾフスキーも、職種は異なるものの、その父祖同様、「国際的」に大活躍した。ヨーロッパ各地を股にかけ、オスマン帝国にもしばしば招かれ、黒海の対岸、トルコの地にも多くの作品を遺している。しかし、十九世紀末におけるオスマン帝国による対アルメニア人政策は、アイヴァゾフスキーの晩年に大きな衝撃を与えたという。アルメニア人であった彼の生涯は、やはり、オスマン帝国における「アルメニア問題」からは無縁でいられなかったのである。
さて、本書に掲げられている数々のアイヴァゾフスキーの絵画は、圧倒的な質量感がある、まことに堂々とした作品が多く、実に見事なものである。しかし、その一方で、全般的に古めかしい印象を受け、レヴィタンや、弟子の一人クインジからは一線を画されているように思われる。
そのような意味で、アイヴァゾフスキーには「十九世紀の古典的巨匠」という言葉がふさわしいのではなかろうか。
なお、アイヴァゾフスキーについては、日本においても先行研究があるが、それらを確認することを怠っている。寛恕を乞う次第である。
(2012.4.12)
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