遠州堀江城主大澤左衛門佐基胤夫妻の墓
(池袋の瑞鳳山祥雲寺)
 
祥雲寺
瑞鳳山祥雲寺
 
 東京都豊島区池袋の瑞鳳山祥雲寺(http://shounji.com/)には、浜名湖のほとり、遠江国堀江を本拠地とした「国衆」にして戦国期在国公家領主の大澤基胤(月郷院/月卿/月江院)と、その妻(正覺院。木寺宮親王龍雲院の女子)の墓があります(http://shounji.com/info/haka/)。
 祥雲寺は、地下鉄有楽町線の要町駅から至近距離に位置し(要町駅五番出口より徒歩12)、池袋駅の西口からでも徒歩数分と、訪問はいたって容易です。
 私は、2019412日、201982日、202164日、と三度にわたり、都内での所用が済みました後、夕刻に祥雲寺を訪れました。墓域には案内板がありませんので、あまたの墓石から大澤基胤夫妻のを探し当てることは容易ではありません。最初の訪問では黄昏時も過ぎて時間切れ。二度目も時間不足。三度目にして、ようやく行き当たることができました。
 本堂の手前を左に折れて西へまっすぐ進みました先に、歴代住職の卵塔群があります。その少し手前、右手に少し入った所に東向きに並んで立っております二基の宝篋印塔が、大澤基胤夫妻の墓です。
 
祥雲寺「月江院」墓 祥雲寺「月江院」墓
左側が遠州堀江城主大澤左衛門佐基胤「月江院」の墓
右側が妻「正覺院」(木寺宮親王龍雲院の女子)の墓
 
祥雲寺「月江院」墓 祥雲寺「月江院」墓
「月江院殿」「遠州堀江城主」
 
祥雲寺「正覺院」墓 祥雲寺「正覺院」墓
「正覺院殿」「大澤左衞門佐妻/遠州木寺宮姫也」
(以上、202164日撮影)
 
 祥雲寺のサイト http://shounji.com/info/haka/ には、大澤基胤の妻は「木寺宮定姫」とされております。しかし、現時点では、同時代史料またはそれに準ずる史料から、これを確認するには至っておりません。
 
祥雲寺
2019412日撮影)
 なお、昭和五十六年(一九八一)三月付、東京都豊島区教育委員会による祥雲寺の案内板には、「戸田家代々の墓、酒豪として知られた三浦樽明、首斬り浅右衛門の七代山田浅右衛門などの墓がある」と掲示されており、大澤基胤夫妻は「など」の中に含められております。
 史上唯一の戦国期在国皇族領主たる遠州木寺宮が如何に影の薄い存在であるか、ここからも窺い知ることができるでしょう。
2019620日記)



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