「広きドニエプル川は咆哮し、うなりをあげ」
Реве та стогне Дніпр широкий
ウクライナ民族の象徴的歌曲
2022年2月21日、ウクライナ問題が新たな局面を迎えております。
今もウクライナ各地では多くの人たちが、ウクライナ民族の魂の歌曲「広きドニプル(ドニエプル川)は咆哮し、うなりをあげ Реве та стогне Дніпр широкий」を、悲痛の思いで、涙を流しつつ歌っていることでしょう。
この歌曲は、ウクライナの「国民詩人」タラス・G・シェウチェンコ(シェフチェンコ) Тарас Григорович Шевченко(1814〜1861)の詩(詩集『コブザル Кобзар』に収録)に、作曲家ダニーロ・Ya・クリジャニウスキー Данило Якович Крижанівський(1856〜1894) が作曲しました。英語では「The Dnepr roars and moans」、フランス語では「Le large Dniepr hurle et gémit」と訳されております。
ウクライナ語の歌詞は、次のとおりです。
Реве та стогне Дніпр широкий,
Сердитий вітер завива,
Додолу верби гне високі,
Горами хвилю підійма.
Додолу верби гне високі,
Горами хвилю підійма.
І блідий місяць на ту пору
Із хмари де-де виглядав,
Неначе човен в синім морі,
То виринав, то потопав.
Неначе човен в синім морі,
То виринав, то потопав.
Ще треті півні не співали,
Ніхто нігде не гомонів,
Сичі в гаю перекликались,
Та ясен раз у раз скрипів.
Сичі в гаю перекликались,
Та ясен раз у раз скрипів.
歌詞(詩)の翻訳は、次のとおりです(繰り返し略)。
広きドニプルは咆哮し、うなりをあげ、
忿怒の風は叫びたて、
高き柳の木々を地に圧し、
山なみのように波濤を起ち上げる。
そして、青白い月は、その時に、
暗雲から、いづこかを見て、
青い海に[ただよう]小舟の如く、
ときに浮かび上がって、ときに沈んで。
もはや三羽の雄鶏は、時を告げなかった。
いかなるものも、いづこにも、音をたてないで、
フクロウたちが森のなかで呼び合った[のみ]。
しかしトネリコ[の樹]は、幾度も幾度も、軋み音をたてて。
・「山なみのように」は、「гора 山」の複数形造格「горами」です。
・「フクロウ сич」は、具体的にはコキンメフクロウ(Athene noctua)。
・「トネリコ ясен」はトネリコ属(Fraxinus)に属すトネリコの一種。
この歌曲は、ちょうどフィンランドにおける「フィンランディア讃歌 Finlandia-hymni(Finlandia Anthem)」のように、国歌に準ずるものと位置づけられ、ウクライナの人々は歌うときに容儀をあらため、背筋を伸ばして熱唱するとのことです(I.I.先生からのご教示によります)。
私がこの曲に初めて接しましたのは、例の如く、大学に入学する前の、「モスクワ放送」の日本語放送における「ソ連邦諸民族のメロディー」においてでした。これは録音に成功しており、今でもカセットテープに保存されております。
この歌曲の音楽CD音源としては、フランスのPLAYASOUND盤『ウクライナ人の声 Voix Ukrainiennes / Ukrainian Voices』に収録されております(#8 Le large Dniepr hurle et gémit. 一番、三番の繰り返し省略、一番、の順で歌われています)。
Voix Ukrainiennes.
Ukrainian Voices.
Paris, AUVIDIS, 1993.
[PLAYASOUND-PS65114]
この歌曲、「広きドニプルは咆哮し、うなりをあげ」は、飯塚書店編集部編『ロシア民謡集』(東京, 飯塚書店, 1976.11)の19頁に、「広きドニエプルの嵐」という曲名で収録されております。
そこには、楽譜、ウクライナ語歌詞の一番、さらに、「合唱團白樺」による訳詞が三番まで付いております。この訳詞は、原典の詩に即し、かつ、曲にあわせて歌うことができる、優れた日本語訳です。有名なロシア歌曲「トロイカ」(雪の白樺)の日本語歌詞(楽団カチューシャ「訳」)が、原詞とは似ても似つかぬ日本語創作であるのとは、対照的です。著作権の関係上ここに紹介できないのは残念至極です。
労働組合活動が活発であった昭和時代中期頃には、ロシア民謡・歌謡が「歌声喫茶」等で盛んに謡われていた次第ですが、この「広きドニエプルの嵐」が実際にどれほど広く歌われていたのかは、世代がくだる私には知る由もありません。
なお、この飯塚書店版『ロシア民謡集』では、この歌曲は「ウクライナ民謡」とされております。しかし、正真正銘のウクライナ民謡は、ロシア民謡と同様、(肯定的な意味で)「土臭い」ものです。そのような、本物のウクライナ民俗音楽が収められている音楽CDとしては、例えば、次のものがあります。
『ウクライナ 伝統音楽』
Ukraine :
Traditional Music.
Musiques Traditionnelles.
Paris, AUVIDIUNESCO, 1991.
[UNESCO D 8206]
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『民間音楽の選集 ウクライナ音楽』
Ukrainian Music.
Антология народной музыки.
Украинская Музыка.
Москва, ФГУП《Фирма Мелодия》, 2010.
[MEL CD 30 01788]
1961〜1989年録音
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『ウクライナの伝統音楽 1
草原−カルパチア−西ポドリエ−ボイキヴシチェナ』
Traditional Music from Ukraine / Musiques Traditionnelles d'Ukraine, 1.
Steppe - Carpathes - Podolie Occidentale - Boïkivchtchéna.
Paris, SILEX, 1993.
[Y225211]
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『ウクライナの伝統音楽 2
ポロシエ−ポルタヴァ−キエフと他の諸地域』
Traditional Music from Ukraine / Musiques Traditionnelles d'Ukraine, 2.
Polésie・Poltava・Kiev et autres contrées.
Paris, SILEX, 1995.
[Y225216]
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また、CD付き書籍としては、
エカテリーナ・ドロホヴァ
『民族文化の《半島》:音楽発展の道 クルスク・ポセミイェのロシア諸村とウクライナのスロボダ(大農村)の歌唱民俗』(音声付録付. 専著)
に、MP3音源で140分10秒ぶんのウクライナ民謡とロシア民謡が収録されております。
Екатерина Анатольевна Дорохова,
Этнокультурные 《острова》:
пути музыкальной эволюции.
Песенный фольклор русских сёл Курского Посемья и Слободской Украины.
Со звуковым приложением. монография.
Санкт-Петербург, Издательство 《Композитор》, 2013.
[ISBN 978-5-7379-0740-2]
・ウクライナ, スームィ州
Сумская область
プティーヴリ地区
Путивльский район
#1-16. село Линово
1979〜1983年録音
・ウクライナ, ハリコフ(ハルキウ)州
Харьковская область
バラクレイスキー地区
Балаклейский район
#17-19. село Терновая
1973年録音
・ロシア, ベルゴロド州
Белгородская область
シェベキンスク地区
Шебекинский район
#20-28. село Муром
1979年録音
・ウクライナ, ハリコフ(ハルキウ)州
Харьковская область
バラクレイスキー地区
Балаклейский район
#29-34. село Завгороднее
1979〜1984年録音
#35-38. село Петровское
1986年録音
#39-42. село Протопоповка
1986年録音
ロシアとウクライナは、ソ連邦崩壊後にそれぞれ異なる道を歩み始めました。ウクライナに関する様々な基礎知識を得るためには、明石書店刊の
服部倫卓、原田義也 編著
『ウクライナを知るための62章』
(東京, 明石書店, 2018.10.初版)
https://www.akashi.co.jp/book/b378133.html
が、たいへんに有益です。本書を読まずしてウクライナを語ることはできないでしょう。ただし、そこにはウクライナの伝統音楽・芸術音楽に関する記載のないことが、望蜀ですが、いささか残念ではあります。
ウクライナ民族の象徴的歌曲「広きドニプルは咆哮し、うなりをあげ」を、前述のとおり私は、モスクワ放送によって初めて知ることができました。そのモスクワのロシア連邦政府と、ウクライナ共和国政府とが、目下、紛争の真っただ中にあります。現在「ルガンスク共和国」と「ドネツク共和国」が支配している領域で、かつてそうでありましたように、この歌曲を自由に歌うことができるときが早急に到ることを、心より念じております。
(「Реве та стогне Дніпр широкий」の作曲者D.Ya.クリジャニウスキーの命日、2月26日を前に。2022.2.23.記)
追記: 周知のとおり、事態は2月24日までに急展開を遂げております。戦禍が拡大しないことを切に願うばかりです。(25日記)
追追記: チンギス・ハンが有能なホラズム商人等を麾下に置き、経済の重要性を理解していたのに対し、プーチンは、経済については無知のようです。このままではロシアの経済は崩壊します。あくまでも私の予感ですが、プーチンは失脚する可能性が高いのではないでしょうか。経済関係者のみならず、プーチンの周囲に群がり利権を漁っている連中も、自分たちの利益にならないと見れば、あっさりとプーチンを見捨てるものと思われます。これは、確たる根拠のない、単なる憶測に過ぎませんが、プーチンの失脚は、意外と早いかもしれません。そのようになりますように。(26日未明記)
ウクライナ民族の魂の曲「広きドニエプル川は咆哮し、うなりをあげ」Реве та стогне Дніпр широкий(邦訳曲名「広きドニエプルの嵐」)は、「早稲田大学グリークラブ」のレパートリーとなっており、また、日本全国のさまざまな合唱団において、過去においても現在においても歌われ続けているようです。
このたび、この歌曲を児童・生徒でも、楽譜を解さない人でもウクライナ語で歌えるように、カタカナで歌詞を表記したPDF文書を作成しました。覚えやすい旋律ですので、下記の音源により、比較的容易に聴き覚えできると思われます。
カタカナ表記は、原則として、ウクライナの誇るオペラ歌手、ソビエト連邦人民芸術家イワン・S・パトルジンスキー Іван Сергійович Паторжинський / Иван Сергеевич Паторжинский / Ivan Sergeevich Patorzhinsky(1896〜1976)の独唱(https://www.youtube.com/watch?v=-MlQ8t5CHgw)、および、G.G.ヴェリョーフカ記念国立アカデミー・ウクライナ民族合唱団(Національний заслужений академічний український народний хор України ім.Г.Г.Верьовки)の指揮者A.T.アヴディエフスキー Анатолій Т.Авдієвський / Анатолий Т.Абдиевский の合唱指導(http://pisnya.org.ua/kompozycija.php?id=649)に基づきました。現代口語の発音とは若干の相違があります。なお、「в / v」のカタカナ表記は、「ウ」または「バ」行で表記しております。
パトルジンスキーの歌唱の音源は1943年の古い録音で(参考:https://www.russian-records.com/details.php?image_id=16041)、アレクサンドロフ記念ソビエト軍歌舞アンサンブル(имени А.В.Александрова ансамбль песни и пляски Советской Армии)の合唱・伴奏です。パトルジンスキーの歌唱が古風なウクライナ語の発音であるのに対し、アレクサンドロフ・アンサンブルのはロシア語風の発音です。
この歌曲の音源動画は、上掲のもの以外には、さしあたり次のものが、合唱する際の参考となりそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=6--ZM_GhXgs
ヴェリョーフカ記念ウクライナ民族合唱団の会場演奏(2011.5.19)で、観客席からの撮影録音。
観客との一体感が感じられ、演奏会の雰囲気がよく出ています。
https://www.youtube.com/watch?v=Y2JQ1Xtw2Do
合唱団「Хрещатик / Khreshchatyk」による無伴奏合唱。
CD『合唱団 "Khreshchatik" ウクライナの小さい花輪 聖誕祭のクリスマスキャロルと大晦日キャロル』Хор "Хрещатик". Український віночок. Різдвяні колядки та щедрівки(Оберіг XXI, 2004)より、, #18.
https://www.youtube.com/watch?v=TjeNIQeNWtk
G.マイボロディ記念ウクライナ国立バンドゥーラ唱詩団(Національна заслужена капела бандуристів України ім. Г.Майбороди)の会場演奏(2017.3.9.録音)。
この「広きドニエプル川は咆哮し、うなりをあげ」のウクライナ語カタカナ歌詞は、ウクライナ、ひいては、全世界の抑圧された諸民族に対して心を寄せる方々に御活用いただければ幸いです。特に、生徒の皆さんにお使いいただければ、たいへんにうれしく思います。
(2022.3.2.記)
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