哀悼
チョイジ čoyiji(喬吉)先生
内モンゴル社会科学院(内蒙古自治区社会科学院)歴史研究所 研究員
モンゴル仏教史に関する著述と、モンゴル語年代記の校注で名高いモンゴル歴史文献研究家、チョイジ先生が、2022年8月17日、フフホト市で逝去されました。享年81歳。
先生は、1941年12月、内モンゴルのバーリン(巴林)右旗で生まれ、1965年、内モンゴル大学中文系蒙古語専業を御卒業、1979年より内モンゴル社会科学院歴史研究所に所属され、次々と精力的に研究成果をお出しになられました。
およそモンゴル宗教史、文献学史に関わるならば、チョイジ先生の御業績に接したことがないという研究者はいないでしょう。
モンゴル文年代記の校訂としては、ロブサンダンジンの『アルタン・トプチ(黄金史)altan tobči』、『ガンガイン・ウルスハル(ガンジス川の流れ)gangga-yin urusqal』、『アルタン・クルドゥン・ミンガン・ケゲストゥ・ビチク(金輪千輻)altan kürdün mingγan kegesütü』、『アルタン・エリケ(金鬘)altan erike』があります(私には未所持のものがありますが)。
チョイジ先生が早稲田大学に御滞在(1999年9月〜2000年8月)の時、2000年6月30日、早稲田大学の戸山図書館と中央図書館へ御同行したことがございます。その途次に、早稲田大学生協の書籍部をも御案内いたしましたが、生協の別階にて、私が予約注文していた音楽CDを受取りに行きましたのにまで御立会いいただいてしまいました。その折の談話によりますと、先生は日本の演歌がお気に入りとの由です。
また、2000年8月31日、先生ご離日の日、私が早稲田の宿舎を訪れましたところ、すでに御出発の後でした。そこで箱崎に向かいましたが、これにも間に合わず、折角すぐそばまで到りながら、とうとう離別の挨拶を交わすことができなかったことは残念至極でした。
しかし、その後、フフホトに行くたびに、日程の都合が合えば、内モンゴル社会科学院へ先生のもとを表敬訪問したものです。私が内モンゴル大学に就職した時には、先生も既に御退職されていらっしゃり、なかなかお会いする機会には恵まれませんでした。
最後に先生とお会いできましたのは、2019年12月7日、吉田順一先生が内モンゴル大学に来られた折でしたが、ゆっくりとお話をする暇はありませんでした。
学問とお酒をこよなく愛された先生の御冥福を心より御祈り申し上げます。
(202.4.15.謹記。2022.8.18.訂正)
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