2020年12月21日の「天声人語」における
『スーホの白い馬』によせて
昨日、2020年12月21日付『朝日新聞』「天声人語」に、『スーホの白い馬』に関する話題が取り上げられました。「内モンゴル」に関する言及もありますが、あくまでも「大戦中」の話だけでありまして、この時節柄、はなはだ意外なことと思われました。
それはさておき、この有名な童話、『スーホの白い馬』(1969年、産経児童出版文化賞を受賞)の成立をめぐる背景につきましては、
のコラム1、
ボルジギン・ブレンサイン「日本版「スーホの白い馬」と中国版「馬頭琴」の物語」(37〜40頁)
に要領よくまとめられておりますので、基礎事実を知りたい方、いろいろと論じてみたい方は、まず、この小文をお読みになられると良いでしょう。本書は、公共図書館等で容易に読むことができるはずです。
さて、童話『スーホの白い馬』の原話である階級闘争の物語「馬頭琴」の舞台は、シリンゴル地方のチャハル草原とされております。モンゴル史を学んだ方ならば誰でもご存知のことでしょうが、「チャハル」草原に「王様」がいたのは、極めて短期間です。しかも、チャハル集団のハーンとされるボディ=アラグ・ハーンとダライスン・ハーンの時代に彼らの本拠地が「チャハル」草原と称されていたことを記す同時代史料があるとは聞いたことがありません。ダライスンの東遷後、リンダン・ハーン(リクデン・ハーン)がハラチン集団とトゥメド集団を潰滅させるまで、シリンゴルは「チャハル」集団の遊牧地ではありませんでした。リンダン・ハーンの歿後、後金/清朝に服属したチャハル集団が「チャハル」草原を遊牧地とした時、八旗に編制された彼らには、「王様」以下、王公はいませんでした(なお、リンダン・ハーンの子エジェイが本拠地としたのは、リンダン西遷以前の旧地です)。
したがいまして、「馬頭琴」の物語に登場する悪辣な王は、歴史上、存在したとは考え難いと結論せざるを得ません。もし「馬頭琴」の物語の作者が、その歴史事実を把握した上で悪辣な王様を創作したとすれば、この作者もなかなか隅には置けませんが、その実否は如何なものでしょうか。
ところで、少なからぬ日本人は、国語の教科書に掲載されている『スーホの白い馬』を通じて、初めて「モンゴル」に接していることと思われます。血腥い階級闘争の物語が、モンゴルに深い思いを抱く日本人の児童文学者と画家の手によって美しい物語に換骨奪胎され、多くの日本人を感動させました。この物語をどのように受け止めれば良いか、これは、読み手の側の精神性に委ねられている、と私は考えております。
ちなみに、童話『スーホの白い馬』は、日本に留学した経験のある、内モンゴルのモンゴル民族の間でも人気が高く、私が古本屋で購入してフフホトに持参した本は、たちまちにして所望され、私の手元には一冊も残っておりません。この、「一人の少年の馬に対するこの上ない愛情」を主題にした物語は、内モンゴルのモンゴル民族の琴線にも触れ、新たな芸術的創作の源泉にもなっております。具体的には、『内モンゴルを知るための60章』を御参照いただければ幸いです。
(2020.12.22記)
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