今はなき清水公園の「乗り物公園」
「乗り物公園」跡地 (左端に旧花野井家住宅)
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「乗り物公園」跡地 (右端に金乗院仁王門)
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東葛飾北部地域には、流山市の総合運動公園にD51形式第14号機、柏市の柏西口第一公園にD51形式第453号機、松戸市小金原のユーカリ交通公園にD51形式第405号機、と三機の蒸気機関車が静態保存されております。しかし、かつては野田市内にも保存蒸気機関車がありました。形態の優美さで知られる旅客列車牽引用パシフィック機、C57形式の第129号機です。清水公園の「旧花野井家住宅」の北側に位置していた「乗り物公園」内に静態保存されておりました。しかし、甚だ残念なことに、解体されて既に久しく、「乗り物公園」ともども夙に過去帳入りしております。
この「乗り物公園」には、名前のとおり、C57129以外にも、玉電「ぺこちゃん」こと東急玉川線デハ200形電車など、さまざまな「乗り物」が展示されておりました。
ネット上に公開されている、往年の「乗り物公園」の様子を知ることができる写真としては、例えば次のものを挙げることができます。
・「令和2年度特別展まちの記憶―写真でたどる野田・関宿の昭和30〜40年代― | 野田市郷土博物館・市民会館」
https://noda-muse.jp/7995/
「19【自然・公園】乗り物公園 | 野田市郷土博物館・市民会館」
入り口付近から西に向かって撮影した、昭和四十六年(1971)の写真です。
手前から、C57蒸気機関車、T-6練習機、東急玉川線デハ200形電車、最も奥にトロリーバスが並んでいる様子がわかります。
なお、この写真は、当該特別展の図録1にも掲載されております。
・「汽車・電車1971〜」(http://www.photoland-aris.com/kisya/)
「東急玉川線デハ206保存車」
http://c5557.photoland-aris.com/hozon/tokyu-deha206.htm
1971年9月15日撮影。東急玉川線デハ200形電車の写真ですが、その隣りに三菱ブルドーザー、奥に船が写っております。
・「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」(http://hikokikumo.net/)
「航空自衛隊F-86Dの研究」
http://hikokikumo.net/His-Mil-F86D-000.htm
F-86Dジェット戦闘機「F-86D-45-NA 04-8184」の写真があり、蒸気機関車C57の炭水車も写っております。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
整理番号 CKT7415 / コース番号 C5 / 写真番号 48 / 撮影年月日 1974/12/26(昭49)
航空写真を拡大してみますと、「乗り物公園」の園内の配置が判明します。
┌──────────┐
| F | B | |↑
| / | ↓ | |北北西
| C @ |
|| D | A | |
|E ↓ ↓ ↓ |
|↓ |
| □ 入り口
| ○ |
|┌─┐ ┌─┐|
|└─┘ |G||
| | ||南南東
| └─┘|↓
└──────────┘
@ 国鉄C57形蒸気機関車 第129号機
A T-6テキサン(Texan)練習機「52-062」
B F-86Dジェット戦闘機「184」(F-86D-45-NA 04-8184)
C 東急デハ200形電車 デハ206号
D 三菱BD17型ブルドーザー
E トロリーバス
F 船
@CDE:公園の敷地の向きにあわせて南南東向き。
AB:公園の敷地の向きから、やや斜めに配置され、南向き。
F:南西向き。
G 野田町停車場(駅)旧駅舎。「乗り物公園」の管理棟。
これらの展示物・施設のうち、@BCにつきましては、その来歴を知ることができます。しかし、Eは、どこで走っていたトロリーバスであるか判然としませんし、Fの船は、おそらく川船であると思われますが、どのような由緒のものであるのか、皆目わかりません。
なお、入り口の正面から見て正面奥と、その左手、および、その手前にあった施設または展示物が何であるかは判然としませんが、休憩所や便所が含まれている可能性があるでしょう。
清水公園を管理している「千秋社」に問い合わせれば、おそらく関係資料があると思われますので、詳細が判明するのではないかと思われますが、現時点では未照会です。
さて、清水公園の「乗り物公園」は、昭和四十四年(1969)十一月に仮開園し2、翌昭和四十六年(1971)五月二十四日、野田市の誇る革新系の名市長として今なお野田市民の記憶に残る新村勝雄(しんむら かつお)市長3のテープカットによって、正式に開園しました4。
仮開園した時点では@〜Fが揃っていたようですが、管理棟となったG野田町駅旧駅舎は、昭和四十五年(1970)まで川間駅の駅舎として使用されており、「乗り物公園」内に移築されたのは昭和四十六年(1971)四月十五日ですので5、それを待って開園式が行われたものと推測されます。
なお、「乗り物公園」の開園を昭和四十四年(1969)二月とする記載もあります6が、国土地理院「空中写真閲覧サービス」の1969年5月3日の航空写真(白黒)では、「乗り物公園」の位置は未造成で、施設らしきものは何もありません。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
整理番号 MKT694X / コース番号 C2 / 写真番号 11 / 撮影年月日 1969/05/03(昭44)
あるいは、昭和四十四年二月とは、「乗り物公園」の設置が決定した日付であるのかも知れません。
ちなみに、「乗り物公園」跡地南隣の「旧花野井家住宅」は、昭和四十六年(1971)十二月六日、現在地に移築されております7。
それはともかく、国土地理院「空中写真閲覧サービス」で、年代を追って航空写真を確認いたしますと、次のことが判明します。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
整理番号 CKT7415 / コース番号 C4 / 写真番号 46 / 撮影年月日 1975/01/13(昭50)
1975年1月13日時点では、「乗り物」はすべて存在しています。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
整理番号 CKT792 / コース番号 C4C / 写真番号 10 / 撮影年月日 1979/10/01(昭54)
1979年10月1日時点では、わかりにくいですが、「乗り物」はすべて存在しているように見えます。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
整理番号 CKT842 / コース番号 C4 / 写真番号 38 / 撮影年月日 1984/10/15(昭59)
1984年10月15日時点では、玉電、船、トロリーバスが見当たりません。蒸気機関車、航空機二機、ブルドーザーは存在しています。
ここから、腐朽してしまった「乗り物」が、閉園前に既に撤去されていた状況がわかります。
「乗り物公園」は、昭和六十一年(1986)に閉園したとのことです。そして、その跡地の大部分は、昭和六十二年(1987)三月に開設された「巨大迷路ピラビリンス」と化しました8。
閉園により、展示されていた「乗り物」は、蒸気機関車C57を除き、すべて撤去されました。残されたC57は、昭和六十一年(1986)十一月までに旧野田町駅舎の西隣に移され、向きも180度、変えられて北北西向きとなり、再公開されました。
この時期におけるC57の写真は、次のサイトにて見ることができます。
・コバQのデジカメ歩き 2013年03月09日 「解体された蒸気機関車たち 1」
https://teketeku-aruki321.at.webry.info/201303/article_1.html
移設直後の1986年11月撮影の写真が掲げられています。
再公開後の賑わっている様子が写されておりますが、蒸気機関車の状態が良くなかった様子が明白です。
・「C57129/C57形/千葉県野田市 - おーじーうえもんの鉄道さんぽ」
https://blog.goo.ne.jp/ogasakoki8823-51719-613283/e/b395ae2e3beb353832975410d1c45c2b
1988年1月撮影の写真が掲げられています。旧野田町駅舎の雰囲気が窺われます。
蒸気機関車の移設後、「乗り物公園」閉園後の跡地の状況は、国土地理院「空中写真閲覧サービス」の1990年11月5日(閉園四年後)の航空写真から知ることができます。
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」
整理番号 CKT902 / コース番号 C14B / 写真番号 4 / 撮影年月日 1990/11/05(平2)
これは、平成二年(1990)七月、「巨大迷路ピラビリンス」の一部を噴水迷路に変更して「アクアベンチャー」と改名9した後の航空写真ですが、ここから、「乗り物公園」閉園後の蒸気機関車C57と旧野田町駅舎の位置関係を確認することができます。
┌──────────┐
| 巨大迷路 |↑
| ピラビリンス |北北西
| あらため |
| アクアベンチャー |
| |
| ───┤
| / 入り口
| |↑ |
| ||┌─┐|
| |@|F||
| ||| ||南南東
| ||└─┘|↓
└─────┴────┘
@国鉄C57形蒸気機関車 第129号機
公園の敷地の向きにあわせて北北西向き。
G野田町駅旧駅舎
野田町駅旧駅舎は平成二年(1990)に解体され、部材は野田市教育委員会が保存しているとの由です。1990年11月5日の航空写真を見る限りでは、駅舎はまだ残っておりますので、解体は11月5日以降、年末のことであったのでしょう。
最後まで残っていたC57形式蒸気機関車第129号機も、平成八年(1996)七月に解体されてしまいました。その最晩年の無残な姿を写した写真が次のサイトに掲げられております。
・「831列車の鉄・街・道」(https://c5793.ebo-shi.com/)
「保存C57129」
https://c5793.ebo-shi.com/hozonc57129.html
ここに「乗り物公園」の名残は跡形もなくなってしまいました。
しかし、野田町駅旧駅舎の部材は保管されているということですので、野田市駅前の再開発の際には、その一隅、否、中心にこそ、是非とも再建していただきたいものです。
(2021年9月20日記)
「乗り物公園」跡地 (正面奧に旧花野井家住宅)
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注
1 『まちの記憶 ― 写真でたどる野田・関宿の昭和30〜40年代 ―』(野田市郷土博物館、2021.1)96頁
2 『のだ市報』第209号(昭和46年6月1日)フォト トピックス「発車オーライ…乗り物公園開園」、『まちの記憶 ― 写真でたどる野田・関宿の昭和30〜40年代 ―』96頁
3 後に日本社会党の衆議院議員となり、自由民主党の染谷誠と共に、野田市出身の国会議員として活躍。ちなみに、野田市長としては、前市長の根本崇氏も、保守系の名市長として評価が高いです。
4 『のだ市報』第209号(昭和46年6月1日)フォト トピックス「発車オーライ…乗り物公園開園」、佐藤真『のだし ―歴史のなかの野田市―』(東京、聚海書林、昭和五十六年九月)〔附〕「野田市昭和五十年間のあゆみ」233頁
5 佐藤真『のだし ―歴史のなかの野田市―』〔附〕「野田市昭和五十年間のあゆみ」233頁
6 久喜市「第3回久喜市(仮称)本多静六記念 市民の森・緑の公園整備検討委員会会議録」(平成28年4月26日開催)配布資料、清水公園関係資料「清水公園120年史及び地図」
http://www.city.kuki.lg.jp/shisei/kyodo/sanka/fuzoku/fuzoku/machidukuri/seiroku_kouen/kaigiroku/kaigiroku01.files/03kai-shiryo04-01.pdf
7 佐藤真『のだし ―歴史のなかの野田市―』〔附〕「野田市昭和五十年間のあゆみ」233頁。なお、この日付は、おそらく公開日でしょう。ちなみに、この「野田市昭和五十年間のあゆみ」は、昭和元年から昭和五十五年までの野田市の年表です。そこには、
・昭和四十三年四月一日「梅郷駅前に、始めて横断歩道橋出来る」(231頁)
・昭和五十年三月二日「霊波之光教会(法)の「天使閣」建設(山崎二六八三)」(237頁)
・昭和五十三年四月一日「野田警察署前(十六号国道)を立体交叉にする為の工事に着手(五十五年三月完成予定)」(242頁)
・昭和五十四年一月二十二日「梅郷駅前に「スーパー・マツモトキヨシ梅郷店」出店決る(六月一日オープン)」(244頁)
のような、地元民には興味深い情報も載せられております。
8 久喜市「第3回久喜市(仮称)本多静六記念 市民の森・緑の公園整備検討委員会会議録」(平成28年4月26日開催)配布資料、清水公園関係資料「清水公園120年史及び地図」
9 久喜市「第3回久喜市(仮称)本多静六記念 市民の森・緑の公園整備検討委員会会議録」(平成28年4月26日開催)配布資料、清水公園関係資料「清水公園120年史及び地図」。ちなみに、この「アクアベンチャー」も、2020年6月30日に閉場されました(「清水公園 公式ホームページ » アクアベンチャー」 https://www.shimizu-kouen.com/aqua)。なお、2021年9月現在、「リニューアルに向けて準備中」で、すでに基礎工事も始まっております。
「乗り物公園」跡地 (正面奥左寄に旧花野井家住宅)
(写真はすべて2021年9月19日撮影)
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