筑波鉄道最後の日における常陸北条駅

 北関東の特定の地域において竜巻・突風の大被害が出た今週の日曜日(二〇一二年五月六日)は、能楽ワキ方サークル「早稲田大学下懸宝生会しもがかりほうしょうかい」のOB会による、年に一度の謡会のため、上京しておりました。
 留守中の自宅には、午後3時頃に至り、雷雨と強風とヒョウ(というよりアラレか)の襲来があったということです。尤も、被害は僅少で、畑のトマトの苗が二・三本折れたのと、ナスか何かの葉が痛んだ程度にとどまったようです。
 甚大な損害を被った北条町には、今を去ること四半世紀の昔、昭和六十二年三月三十一日、当時大学生であった兄が自動車を運転して、今は亡き父方の祖父母を筑波山方面に案内しました際に、それに同乗して、たまたま通りかかりました。筑波鉄道の駅に寄ってもらい、まさにその日が筑波鉄道の営業最終日でしたので、乗車したわけではありませんが、切符を一枚、記念に購入いたしました。
筑波鉄道 常陸北条 62.3.31.
筑波鉄道 常陸北条 62.3.31.

 これは、私が所蔵している筑波鉄道の切符としては、唯一のものです。
 筑波鉄道には、まだ関東鉄道筑波線であった頃、土浦から岩瀬までの全線に、一度だけ乗ったことがあります。収支係数が極端に悪い路線でもなかったので、廃線の報に接し、非常に唐突な感を受けましたことを、今でも記憶いたしております。
 廃線後、線路の跡地は自転車・歩行者道に転用されたようですが、竜巻の災害の報道において、筑波鉄道の廃線跡がテレビに映されたのを観て、上掲の切符のことを思い出しました。
 古い切符を入れてある函の中を漁ってみると、目的の筑波鉄道の切符の他、大学受験会場の最寄駅の臨時窓口(すなわち屋台)で受験生相手に売られていた硬券の乗車券も出てきました。
小田急電鉄 小田急多摩センター 62.2.13.
小田急電鉄 小田急多摩センター 62.2.13.
京王帝都電鉄 駒場東大前 62.3.4.表京王帝都電鉄 駒場東大前 62.3.4.裏
京王帝都電鉄 駒場東大前 62.3.4. 左=表、右=裏
京王帝都電鉄 渋谷 62.3.5.表京王帝都電鉄 渋谷 62.3.5.裏
京王帝都電鉄 渋谷 62.3.5. 左=表、右=裏

 言わずもがなですが、京王帝都電鉄の乗車券二点は、結果的に大学入試の受験失敗の記念品となりました。
 また、他にも、一般には入手が非常に困難であると思われる特殊用途の切符もありました。
西武鉄道 高田馬場〜東伏見 往復計数券 有効期限63.1.31.
西武鉄道 高田馬場〜東伏見 往復計数券 有効期限63.1.31.

 これは、早稲田大学に入学した学部一年生の時、履修した体育の授業が東伏見で行われたために支給された往復乗車券です。但し、無料ではなく、割引された鉄道運賃を払いました。これは、たまたま余剰が現在手元にあるというわけではなく、意図的に未使用のものを一枚、残したものです。
 以上は全て硬券の乗車券です。次の切符は、硬券ではありませんが、普通の軟券よりは硬い紙が使われております。
京成電鉄 博物館動物園 61.4.26.
京成電鉄 博物館動物園 61.4.26.

 京成電鉄の上野と日暮里の間にあった「博物館動物園」駅は、山手線内に位置しながら「秘境」のような駅として知られており、以前から一度は利用してみたいと思っておりました。
 昭和六十一年四月二十六日、上野の東京国立博物館からの帰りみち、博物館動物園から日暮里まで、わざわざ一駅だけ乗車しました。駅の窓口にて購入したのが、上掲の乗車券です。
 駅の構内は、昭和戦後のある時代から、まるで時が停まってしまったかのような たたずまいで、まさしく異空間の地下駅というにふさわしかったです。駅が廃止された今、一般の人々は立ち入ることができませんが、今でも駅の便所に「打倒アメリカ帝国主義」の文字が躍っているのでしょうか。

 さて、硬券の切符は、今なお保存状態はおおむね良好ですが、自動券売機で購入した軟券の切符のなかには、文字が完全に消えてしまったものや、以前よりも文字が読み難くなっていたものが、いくつもありました。
日立電鉄 常北太田 17.3.1.
日立電鉄 常北太田 17.3.1.

 この、廃止された日立電鉄の乗車券も、おそらく今後数年のうちに文字が消えてしまうことでしょう。しかし、朝の通勤・通学で込み合う日立電鉄の車内の様子や、常磐線へ乗り換える乗客が一挙に降りて閑散となった大甕駅のプラットホームの光景などは、(写真はありませんが)自身の記憶から消えることは、当分の間、ないものと思います。
 なお、常陸北条駅の周辺がどのような街並であったかについては、二十五年前の記憶は完全に欠落しております。駅の待合室の暗く沈んだ雰囲気だけは、辛うじて覚えておりますが。
 ともかく、被災された方々に、この場を借りて、お見舞い申し上げます。
2012.5.9.記)

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