渡邊大門編『歴史が拓く未来』(市川、歴史と文化の研究所、二〇二一年一月) ・はじめに ・赤坂恒明「刀鍛冶の徒弟であった御落胤、伏見宮貞致親王」 ・石田文一「能登の真宗寺院の由緒」 ・岩田康志「戦国大名後北条家と鯨贈答関連文書記載の「公儀」称号」 ・加藤僚「近世関所の本質について ─『長崎御番方日記』の解釈をめぐって ─」 ・亀谷弘明「対馬の歴史と旅」 ・小谷徳洋「河内国錦部郡の中世 ─ 三善氏と楠木氏を中心に ─」 ・小柳次郎「小比企村(武蔵国多摩郡)の「新編武蔵風土記稿」における未比定小名「江田原」について」 ・柴田まさみ「千年紀の風景 ─『更級日記』記主・孝標女の見た上総・下総国 ─」 ・柴田まさみ「新元号「令和」の語義を探る ─『萬葉集』「梅花の宴」詠歌を手掛かりにして ─」 ・柴辻俊六「戦国期武田氏領での「手形」の用例と機能」 ・新藤透「北方史研究と一次史料」 |
拙小稿は、小著『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流 』で割愛した文章を増補修訂したものです。
一 貞致親王の誕生 二 貞致親王の母方、安藤家 三 貞致の青少年期 ── 鍛冶屋の徒弟、長九郎 四 伏見宮家の家督争いの渦中に浮上した貞致 五 貞致の逼塞 六 伏見宮家における血統断絶の危機 七 貞致親王の伏見宮家継承 八 宮廷社会には「異風」の貞致親王 おわりに 注 なお、「おわりに」にて言及いたしました『基量卿記』が伝える霊元天皇の対伏見宮認識に関する記載は、管見の限り、世に初めて紹介されたのではないかと思われます。しかし、先行研究において既に取り上げられているかも知れません。ご存知でしたら、是非とも御教示くださりますよう、お願い申し上げます。 (2021.2.1)
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