春日部八幡神社の千種有功撰文「都鳥の碑」
(2022年2月16日撮影)
古隅田川の南岸に程近き春日部の鎮守、春日部八幡神社は、境内の一部が「浜川戸砂丘」であるということで、2020年12月9日に、訪問・参拝いたしました。
http://akasakatsuneaki.c.ooco.jp/s/20201209kasukabe_sakyuu.html
その時は自動車で訪れましたが、同伴者がありましたため、参道の先にまでは到っておりませんでした。
その後、春日部八幡神社の参道入口、左手に、江戸末期の公卿 千種有功の撰文になる「都鳥の碑」(嘉永六年五月建立)があるということを知りまして、2022年1月19日と2月16日の二度にわたり、自転車で春日部八幡神社を訪れました次第です。
(2022年2月16日撮影)
千種有功につきましては、『広報かすかべ』No.279, 1980.2, p.14「かすかべの歴史余話 都鳥の碑文(下)」に、
都鳥の碑文を書いた千種源有功は堂上公卿で、正三位千種有条の次男、寛政九年十一月出生、兄有秀の跡をうけて家を継ぎ、左近衛中将正三位に任叙した。和歌にすぐれて四条派の画をよくし、洒落な人柄であって奇行が多い人物である。
とあります(春日部市役所企画財政部秘書広報課編集『「広報かすかべ」縮刷版第3巻』春日部市役所企画財政部秘書広報課発行、昭和59年3月、200頁)。
この千種有功は、自ら刀を鍛えるという、知る人ぞ知る奇人公卿で、漫画の高瀬理恵『公家侍秘録』にも「準レギュラー」として登場する、なかなかの有名人である、と斯界の大先達から御教示をいただきました。
碑銘は次のとおりです(「かすかべの歴史余話 都鳥の碑文(下)」の釈文を一部修正)。
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│ 隅田川はむさしと下つふさの國の界なり。陸奥に往きかふ道にあたる所を │
│ 春日部のうまやといふ。在原の中將の、いざこととはん都鳥、とよめりし跡なから、│
│ ふちとかはりて今は小川となり、むかしのわたりは岡となりしが、元弘の年、 │
│ さかみの國鶴岡の銀杏の一えた飛来りて、ひとよのほどにおひたちけり。 │
│ 其神木のもとに鎮りいます神のみいつのいやましに、幸ひ給へるみや │
│ しろのあたりそ、いさ舟にのれ、と云けん昔の名殘なりけらし。 │
│ │
│ 正三位有功 │
│とはれつるあとたにとめよ都鳥むかしは遠きわたりなりとも │
│神垣にたてるひときをためしにて千々にさかえん春日部の里 │
└───────────────────────────────────────┘
(2022年1月19日撮影)
碑陰には、次のように刻まれております(「かすかべの歴史余話 都鳥の碑文(下)」の釈文を一部修正。下段の列名は省略)。
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│
│新方四十餘郷惣社春日部八幡宮ハ舊領主春日部
│治部少輔時賢主隅田川の岡に造立せられたる所なり。
│こたひ千種殿に乞奉りて詠歌を碑面に彫刻す。
│又放生会再興の為に高田貳反五畝三歩を寄附して
│永世ニ傳るもの也
│
│
│ 嘉永六年五月立
│
└──────────────────────────
なお、千種有功と春日部との関係につきましては、ネットで検索をかければ、
収蔵資料 千種有功卿自画賛 三幅|春日部市郷土資料館
http://www.boe.kasukabe.saitama.jp/siryoukan/shuzou23.html
が、たちどころに掛かります。
是非とも春日部市郷土博物館にて千種有功の企画展が開かれるよう、願っております。
ちなみに、古隅田川の更に上流方面には、能「隅田川」ゆかりの「梅若塚」があり、また、更に上流の「豊春小学校」の傍らには、何とその名も「業平橋」が架かっております。
この「梅若塚」と「業平橋」につきましては、後日あらためて報告いたします。
(2022.6.2)
(2022年1月19日撮影)
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