水戸の茨城県立歴史館にて松平頼則企画展を参観
(2023年12月2日)
2023年12月2日土曜日、その週はいろいろと立て込んでいたにもかかわらず、水戸の茨城県立歴史館(偕楽園の西隣)にて開催中の松平頼則(よりつね)企画展を参観し、当日午後の松平頼則資料に関する講演を聴講してまいりました。
https://rekishikan-ibk.jp/special/post-3674/
石岡府中藩主家・子爵家の当主、松平頼則は、日本現代音楽の鼻祖で、日本国内よりもむしろ国外で知名度が高い現代音楽の巨匠です。カラヤンが指揮棒を振った唯一の日本人作曲家としても知られてはいますが、マスコミへの露出度が少なかったためか、亡くなられた時の報道の扱いも、決して大きくなかったように記憶しております。
松平頼則の曲のうち、国際的に特に高く評価されているのは、雅楽を換骨奪胎した極めて独創的な現代音楽で、20世紀における西洋クラシック音楽の歴史の中でも前衛的な存在として位置付けられているものと思われます。音となったものは、みやびやかな雅楽とは似ても似つかぬ尖った現代音楽ですので、聴く側にも、心地よい旋律に身を委ねることとは対極的なある種の心構えが求められます。
このたびの「《令和5年度 企画展3》 音楽家・松平頼則(よりつね)とその時代 ―時代を切りひらいた巨匠(マエストロ)の軌跡―」は、巨匠 松平頼則を取り上げた、世界初の展観であるということです。
当日は、常磐線の勝田行き(15輌編成)に乗って水戸方面へ向かいました。土浦までは車内はかなりすいておりましたが、土浦から先は前寄り5輌編成のみとなり、立ち席の乗客も目立つようになりました。
水戸駅の手前の赤塚駅で下車し、常磐線の南方「梅が丘通り」を東に歩きます。途中、「ブックオフ」に立ち寄りましたが、目ぼしい収獲はありませんでした。
「梅が丘通り」の左側歩道を道なりに進み、歩道のない旧道に入って北東に向かい、坂を下って県道177号線を横断、沢渡川を「沢渡橋」で渡り、結城街道を東に歩きます。
常磐線の線路は県道177号線で越えて、再び結城街道を進み、国道50号線に合流した先の「偕楽園北口」交差点を右折し、その名も「歴史館通り」を南南東に向かい、12時10分少し前に目的地、茨城県立歴史館に到着しました。
さっそく館内を参観します。松平頼則展は「特別展」でなく「企画展」ですので、展示は一室のみでしたが、その一室というのがそれなりに広く、展示品も展示説明も非常に充実しております。これはやはり担当学芸員、石井裕先生の熱意と技倆とによるものと、深く感じ入りました。
このたびの松平頼則展は、茨城県立歴史館では初めての音楽史の展示で、石井裕先生の言葉によりますと、
始まるまでは「本当に大丈夫だろうか」と半信半疑なところもありました。ただ開幕後は、特別展並みのペースで入館者数が伸び、・・・・・「よくぞ、やってくれた」という激励?のような声も多数いただき、頼則先生の企画を待ち望む音楽ファンの方が多くおられることを実感しました。
との由で、企画時点での予測を大きく外れる盛況となりましたようです。
歴史館としては、知名度の点で松平頼則だけでは心配なために「日本のオーケストラの祖」近衛秀麿の資料をも借り出して展示したとのことです。ちなみに、その近衛秀麿関係資料は、信濃町の「民音音楽博物館」で開催された近衛秀麿展にて、半年前の6月30日に観たものでして、おかげさまをもって常陸国で再会することができました次第。
それはともかくとして、この企画展は大好評で、日本語が通じない外国人も訪問して自動翻訳アプリを使って熱心に参観していたとの由です。さすがは世界的な巨匠だけあります。
展示されている資料を観ますと、松平頼則が、カラヤンはじめ多くの巨匠たちから友人として接されており(これには、頼則が子爵であったということで、ヨーロッパの階級社会に受け入れられたという側面もあるのでは、とは思われますが)、また、ヨーロッパの現代音楽界から重鎮として重んじられていたという事実を、具体的に理解することができます。
企画展図録
図録(というよりも冊子ですが)、『《令和5年度 企画展3》 音楽家・松平頼則(よりつね)とその時代 ―時代を切りひらいた巨匠(マエストロ)の軌跡―』(水戸、茨城県立歴史館、令和五年十月)の15頁には、
「畏友(いゆう)」オリヴィエ・メシアンやジョン・ケージなどの欧米で活躍した著名な音楽家たちから称賛(しようさん)され、「日本における現代音楽の父」と呼ばれた頼則(よりつね)。海外では、メシアンやペンデレツキらと共にバルセロナ・オリンピック記念ミサ曲(1992)の作曲を委嘱(いしよく)され、オーストリア建国1000年にあたる1996年にはモーツァルテウム音楽院の特別教授に招聘(しようへい)されるなど、世界の大家(たいか)としての活躍が進む。しかし、先駆者(せんくしや)とされる人物にありがちだが、頼則の評価が海外でますます高まる一方、国内ではその活躍の真価を理解するものは少数に止まっていた。
とあり、また、
作曲家のクセナキスは「パイオニアは損する運命なのだ」・・・・・ と頼則を慰労(いろう)したという。
との由で、祖国日本での処遇について巨匠クセナキスから慰められていたというのも興味深い逸話の一つです。
なお、展示室の一画に、貴重音源を聴くことができる聴覚用器材がありましたが、そこでは一人しか聴くことができません。すでに先客がいましたが、私ごとき音楽方面のシロートが順番待ちで並ぶことによって先方に圧力をかけるのも気が進みませんので、音源を聴くことは差し控えました。
企画展・常設展のすべてを展観した後、講演開始までには時間がありましたので、歴史館の敷地内にある館外建築物を一通り観てまいりました。紅葉・黄葉は終わりつつありましたが、美しい落葉をも踏みながら、心ゆくまで散策することができました。
旧水海道小学校本館
茨城県立水戸農業高等学校旧本館
行方郡牛堀町島須の茂木家住宅
那珂郡山方町諸沢の水車小屋
お目当ての講演(石井裕先生、那須聰子氏)のほうも、期待に違わず非常に興味深く聴くことができました。
松平頼則の父、頼孝は、鳥類学研究でシンショウをツブしてしまい、その膨大な鳥類標本コレクションは山階芳麿、鷹司信輔、蜂須賀正氏に分割され、現在、日本国内で残っているのは、山階鳥類研究所の500点の標本だけで(それでも十分に貴重なコレクションであるとの由)、鷹司行きの標本は戦災で焼失、蜂須賀行きは海外に流出してしまったということです。
父が破産状態となったためか、頼孝以前の宝物は伝えられておらず、近世史料も、二通の松平頼説宛 松平乗保書状を除き、残っていないとのことです。また、頼孝夫人 治子(西園寺公望の兄 徳大寺実則の女子)関係の資料も残っていないそうです。
7000点近くに及ぶ松平頼則関係資料は、ご子息の今は亡き松平頼暁(ご父君を凌駕する超過激な現代音楽作曲家)が、しかるべき機関への寄贈を希望されていたものの、どこからも引き取りを断られたのだそうです。しかし、頼則研究のため頼暁宅に通われていた(当日の講演を行なわれた)明治学院大学博士課程の那須聰子氏が橋渡しとなり、茨城県立歴史館への寄贈が決まったということです。主席学芸員の石井裕先生が資料の価値を高く評価し、整理を行ない、ようやく今回の企画展にこぎつけたわけですが、頼則資料は、今後、茨城県立歴史館の所蔵資料の中でも重要な位置づけのものとなるであろう、とのことです。貴重な近代資料が散逸・湮滅することなく、一括して保存されたことは、実に幸運なことと言わざるを得ません。関係者の御尽力に心より敬意を表します。
ところで、今回の展観では、図録はありますが、上述のように冊子体で、パンフレットに近い簡単なもので、残念ながらそこには展示品のごく一部しか載せられておりません。特別展になりますと重厚な図録らしい図録になるのだそうですが、企画展ですとパンフレット様なのだそうです。しかし、その物理的な薄さにもかかわらず、図録中には核心的な重要情報がきちんと抑えられており、展観の関係者の熱意が込められていることが伝わってまいります。
なお、売店には、「松平頼則てぬぐい」も売られておりました。が、実用的な使用は甚だ懼れ多く、その購入は遠慮いたしました。
退館前に、展観に対するアンケートを書きました。是非、あらためて石岡府中松平家を特集した特別展を企画し、鳥類学者の頼孝、現代音楽の頼則・頼暁父子を取り上げて、貴重音源を収録したCDを付けた本格的な図録を刊行していただきたい、と要望いたしました。
ちなみに、今回の企画展の図録のほかに、一橋徳川家関係の図録を三冊、徳川慶喜のを一冊、購入しました。価格が低廉であることに驚きました。
なお、この松平頼則展の会期は12月17日までで、残りあとわずかです。多少なりとも関心がおありの方、まだ行かれておりませんでしたら、万難を排して是非、水戸へお足をお伸ばし下さい。
帰りの刻には、すでに周囲は暗くなっておりました。水戸駅まで歩きましたが、水戸東照宮の付近で道を誤り、信号待ちの時間もかなり長く、時間を無駄に費やしてしまいまして、水戸駅の改札口に着いたのは17時35分、ちょうど上野方面行き列車が発車してしまった後でした。次の列車は18時00分で、25分、待たされることとなりました。
見渡せば、常磐線下りホームに、たいへんに懐かしい501系電車が入線しているのが見えましたので、わざわざ「会い」に行きました。
この車輌は、常磐線に「グリーン車」が導入されるまでは常磐線の上野口を走っており、何度も何度も乗る機会がありました。新車として投入された当初は、発車時にインバータが「てーろてろてろてろてろてろてろてぇ〜」と「歌う」車輌でしたが、すでにインバータは交換され、もはや「歌う」ことはなさそうです(未確認ですが)。
ところで、このたびの水戸土産は、各種「だるま納豆」です。
舟型の経木納豆は、食べ終わった後、包紙で折り鶴をこしらえました。
一刻も早く、紛争地に平和が訪れますように。
(2023.12.6.初稿。2023.12.13.公開。2024.4.15.誤入力修正)
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