野田市貨物駅の痕跡
 
 野田市駅の南側を東西に走る県道野田守谷線 〜「有吉町通り」は、駅の西側で準「クランク」形状になっておりますが、その中間点に、かつて野田貨物線の踏切がありました。
 2021年夏まで、「有吉町通り」の「クランク」中間点は、キッコーマン醤油の原料倉庫(右手)と(旧)第七工場(左手)の二つの重厚なコンクリート製建造物の間を、さながら「関所」を抜けるような雰囲気でした。
 
野田市貨物駅 貨物線踏切跡
貨物線踏切跡(2015.8.19.撮影)
 
 野田市駅側から見ると、その「関所」手前の「木戸」のように、貨物線の踏切がありました。その踏切は二車線で三本の線路(および渡り線)を越える、大きなものでした。
 この踏切の右手で、貨物引込線が蜘蛛手に分かれ、三方向に先へと延びておりました。
 
野田市貨物駅 貨物一・二・三・四・五番線跡 野田市貨物駅 貨物一・二・三・四・五番線跡
貨物一・二・三・四・五番線跡(2015.8.8.撮影)
 
 貨物線が廃止された後も、長らく、コンクリート製の建造物が往年の雰囲気を伝えておりましたが、それも2021年の5月中旬までに取り壊されて瓦礫と化し、撤去されてしまいました(ただし、20219月の時点では、(旧)第七工場側には、一部、取り壊しに至っていない部分が残されております)。
 
野田市貨物駅 コンクリート製建造物解体後の貨物線踏切跡
コンクリート製建造物解体後の貨物線踏切跡(2021.9.26.撮影)
 
 野田市貨物駅の全盛期における構内配線は、「野田市駅構内図(昭和4541日当時)」(下記)、および、国土地理院発行の5000分の一の国土基本図(1967)から知ることが可能です。また、キッコーマン醤油株式会社編集『キッコーマン醤油史』(野田市、キッコーマン醤油株式会社、昭和四十三年十月)所載の空中写真からも、昭和四十年代初期における野田市駅周辺の状況がわかります。

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資料:東武鉄道発行クリアファイル
「東武アーバンパークライン思いでの車両」
2016年発行)より
「野田市駅構内図(昭和45年4月1日当時)」

東武鉄道のクリアファイル 東武鉄道のクリアファイル
 
・国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
 地図種別 5000国土基本図 / 図葉番号 9-KE-20 / 測量年 1967(昭42) / 座標系番号 9

 かつて、踏切の一番手前を走っていた、野田線から貨物三番線へとつながる貨物本線の廃線跡の一部分は、現在、ウナギの寝床のごとき、屋根付き自転車置き場(野田市駅第1・第2・第3自転車駐車場)として活用されております。
 
野田市貨物駅 貨物一・二・三番線跡 野田市貨物駅 貨物一・二・三番線跡
貨物一・二・三番線跡(2015.8.8.撮影)
 
 その西南側、コンクリート製原料倉庫等に隣接して貨物一番線、その隣に貨物二番線があり、本線から直進する貨物三番線と、そこから分岐した貨物四番線と貨物五番線が、五本並行して北西に直進し、それらのうち貨物三番線と貨物四番線は、総武通運倉庫の北側、「茂木本家美術館」の入り口の近くにまで伸びておりました。貨物三番線と貨物四番線の線路跡の末端地点は埋め立てられてホームと同じ高さとなり、20219月現在、駐車場となっております。
 
野田市貨物駅 貨物三・四番線跡
貨物三・四番線跡の末端地点(2015.8.8.撮影)
 
 貨物五番線から分岐した貨物六番線は、貨物五番線から少し離れて、今はなき「第一給水所」給水塔の付近、「茂木本家美術館」の東側の道路の近くまで伸びておりました。古い地図を見ますと、この貨物線は、この道路を越えて、その先、(旧)第一工場の構内にまで伸びていたようですが、その当時のことは、私は知りません。
 
野田市貨物駅 貨物六番線跡
貨物六番線跡(2015.8.19.撮影)
 
 貨物六番線から分岐した貨物七番線は、方向を転じて北に向かい、今はなき旧サイロの足下から先、キッコーマン醤油「倉庫課弁天作業場」の中を、厳島神社弁財天の東側、「弁天前」バス停の付近にまで伸びておりました。
 野田市駅前から「弁天前」付近に至る歩行者・自転車専用道(現在は区画整理に伴い廃道、消滅)の途中に「倉庫課弁天作業場」の通用口があり、かつては、そこから、貨物七番線上に停車しているホッパー車を見かけたものです。
 
野田市貨物駅 貨物七番線跡 野田市貨物駅 貨物七番線跡
「倉庫課弁天作業場」通用口から望む貨物七番線跡(2015.8.8.撮影)
 
 なお、20219月現在も、貨物七番線ホーム跡は現存しており、「弁天前」バス停の付近からも観察することが可能です。
 
野田市貨物駅 貨物七番線跡
「弁天前」側から柵越しに望む貨物七番線跡(2015.8.8.撮影)
 
 高架化された東武鉄道野田線の車内からも眺めることができる、野田市駅西側の大規模な再開発のもとで、キッコーマン醤油の旧「倉庫課弁天作業場」の東半部分は完全な更地となり、その西半部分でも旧サイロが解体され、また、前述のとおり、「原料倉庫」も消えてしまいました。
 目下、野田市内におけるキッコーマン醤油の旧施設が次々と消滅しております。次は、「中研」こと、旧「中央研究所」が解体されるものと予測されます。野田市駅の周辺は。日々、変化を続けて止みません。
 
野田市貨物駅跡
野田市貨物駅跡(2015.8.8.撮影)
 
2021105日記. 写真追加、一部改訂あり



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