赤坂恒明
晶+れっか王考」


阿部猛編『
中世政治史の研究
(日本史史料研究会論文集)
狭山, 日本史史料研究会企画部, 2010.9, pp.693-716.


【概略】
 建武政権のもとで無位無官から従三位に叙され、弾正尹に任じられるという破格の叙任を受けた皇族、晶+れっか王の出自・事蹟を検討。建武政権樹立に大功があったと考えられる晶+れっか王を、美濃国との関係が深い尾崎宮(惟明親王の曾孫)ではなく、六波羅攻めの功績があった但馬宮(四宮)に比定し、この但馬宮(四宮)を、承久の乱の後に但馬国に遷された、後鳥羽院の四宮、雅成親王の子孫と推測した。また、嘉吉三年九月二十三日の所謂「禁闕の変」の首謀者、鳥羽尊秀(源尊秀)が、吉野で薨去した晶+れっか王の子孫である可能性を述べた。

【目次】
  はじめに
  一 晶+れっか王の諱、叙任と、その出自に関する先行研究
  二 尾崎宮の出自と事蹟
  三 六波羅攻めの上将軍「但馬宮」について
  おわりに
  註

【補記】
 本稿の正誤は、本稿の続稿である「但馬宮令旨考」三六頁 注1に掲載されている。


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