「但馬宮令旨考」
『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 第十三号, 2013年12月, 二九〜四〇頁.
※ 本論文の全文(PDF)は、埼玉学園大学のサイト上に公開されております。
http://id.nii.ac.jp/1354/00000307/(21_akasaka.pdf)
【概略】
「王考 ── 建武期前後の傍流皇族をめぐって ──」の続稿。
元弘三年の六波羅攻めにおいて千種忠顕により上将軍に立てられた但馬宮(四宮)が発した令旨について検討した。まず、但馬宮令旨に関する史料の記載を取り上げて分析し、同宮令旨が実在していた事実を確認した。次いで、現在「大塔宮令旨添状案」と見做されている『播磨清水寺文書』第五号文書が、京都に攻め上る以前の時期における但馬宮(四宮)令旨であった可能性を論じ、あらためて王を但馬宮(四宮)に比定する私見を再検討した。
【目次】
はじめに
一 但馬宮(四宮)令旨の存在
二 『播磨清水寺文書』第五号文書と大塔宮
三 『播磨清水寺文書』第五号文書と但馬宮(四宮)・但馬国守護太田氏
おわりに
注
【キーワード / Key words】
但馬宮、王、大塔宮護良親王、令旨、播磨清水寺文書
Tajima-no-miya, Shou(Jou)-ou, Ootou-no-miya-Moriyoshi-shinnou, Ryouji, Harima-Kiyomizudera-monjo