赤坂恒明
「土州中御門小考」


日本史史料研究会研究会報『ぶい&ぶい』(無為 無為)第二十二号
日本史史料研究会、2011年12月、12〜21頁


【概略】
 「永禄六年の『補略』について ── 特に戦国公家大名(在国公家領主)に関する記載を中心に ──」の補遺。
 土佐一条家に仕えた公家衆の諸家のうち特に不明な点が多い、戦国時代における土佐の中御門家の成員と系譜を明らかにするために、永禄六年の『補略』と、『歴名土代』等の記載を検討。彼らの成員を、藤原基盛、為叙、経弘、経守の四人まで確認し、『言継卿記』天文十九年八月九日庚午条に見える「中御門治部卿」を基盛に比定した。そして、彼らの系譜は、中御門宣胤とは別の系統である中御門経任(吉田定房の従父)の子孫であると推測した。

【目次】
  はじめに
  一 土佐の中御門家に関する先行研究
  二 永禄六年の『補略』における土佐の中御門家に関する記載
  三 藤原基盛と その出自
  おわりに
  注

【補記】
 末柄豊先生の御論稿「土佐一條家祗候の中御門家の系譜をめぐって」(日本史史料研究会会報『ぶい&ぶい』(無為 無為)第二十三号、2012年4月、1〜11頁)には拙稿への補正も含まれているので、是非とも御参照いただきたい。


【初刷の正誤表】
13頁上段
後ろから6行目
(誤)寄寓せし」と
(正)寄寓せしか」と
17頁下段
系図
経長と俊定を結ぶ系線を削除

(誤)
┬ 経任
├ 経長

┼ 俊定

(正)
┬ 経任
└ 経長

┬ 俊定
17頁上段
後ろから5行目
(誤)為叙の子は経弘、
(正)為叙の兄弟は経弘、


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