赤坂恒明
「遠州木寺宮考」


『十六世紀史論叢』第十二号、二〇一九年十月、119


【概略】
 後醍醐天皇の兄 後二条院の子孫である木寺宮家が遠州浜松庄入野に土着していた事実を室町・戦国期文書から確認、ついで、彼らが三河国から遠江国に移住した経緯を推測、さらに、後奈良院の猶子となった木寺宮を、「法華一揆」の指導者 妙顕寺日広の兄弟と推定される「龍雲院」親王(大澤基宥の外祖父「木寺大宮」)に比定し、「木寺大宮」を「赤津中務入道」に比定するのは困難であると指摘、最後に、木寺宮家の消滅について言及し、史上唯一の「戦国期在国皇族領主」と位置付け得る木寺宮の歴史上の存在意義について総括した。

【目次】
  はじめに
  一 遠江国浜松庄における木寺宮領
  二 木寺宮の遠江移住と、妙顕寺日広上人
  三 遠江国敷智郡入野の木寺宮
  四 『龍雲寺文書』における二点の天正七年文書
  五 木寺宮の終焉
  おわりに
  注


【略系図(参考)

 
正誤表
箇所
3頁 上段78二文字分頭下げ
3頁 上段うしろから63二文字分頭上げ
9頁 上段23するめするため



【参考】
 日本史では十五編目となる拙稿「遠州木寺宮考」所載の『十六世紀史論叢』第十二号(市川, 十六世紀史論叢刊行会, 201910月)が刊行されております。

『十六世紀史論叢』第十二号

 本稿は、「室町期の皇族、木寺宮とその下向」(日本史史料研究会 編『日本史のまめまめしい知識』第3巻(ぶい&ぶい新書 No.0003)岩田書院, 20189月, pp.113-121)をお読みになられました先達方より御示教を賜わりました結果、成稿できました。
 ここに、あらためて御礼を申し上げます次第です。
 
2020.1.14


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