「江戸時代における花山天皇の玄孫」
赤坂恒明

『本郷』第146号,
吉川弘文館, 20203, pp.34-36.


【要旨】
 宮内庁書陵部所蔵の壬生家文書『富好王請爵申文』(整理番号、壬 五五)を紹介し、江戸時代前記における王氏爵について考察。慶長六年(一六〇一)の正月叙位で王氏爵にあずかった顕成王(一五八四〜一六一八。白川神祇伯雅朝王の子で彼自身も神祇伯となった)は、「寛和御後(かんなのみのち)」の「四世無位」、すなわち、花山天皇の擬制的な玄孫として、王氏爵にあずかって叙爵された最後の実在人物と考えられる。そして、慶安四年(一六五一)の正月叙位の儀で、神祇伯雅喬王によって王氏爵に推挙された富好王は、王氏爵にあずかった架空人物である最後の諸王と思われる。


【参考】
『本郷』第146号
 小文「江戸時代における花山天皇の玄孫」所載の
『本郷』第146号(吉川弘文館, 20203, pp.34-36
が発行されております。
 著『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流
に関連する小文です。
 江戸時代前期における花山天皇の擬制的な玄孫と、
王氏爵の最後について論じております。主要論拠は、
稿「中世における皇胤の末流「王氏」とその終焉
(『十六世紀史論叢』第三号)です。
 最近ようやく学界にも広く知られるようになった
「御後」という用語の読みが「ミノチ」である、と
いう根拠につきましても、簡単に注記いたしました。
2020.2.29


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