赤坂恒明の連絡用ホームページ
連絡事項


土手供養碑
八潮市南川崎の普門寺の門前に位置する
土手供養碑
202294日)
土手供養碑 土手供養碑
ご参考:「普門院について - 真言宗豊山派 普門寺」
  https://www.fumonji.or.jp/fumonin.html
普門寺 普門寺
大悲山観音院普門寺
県道松戸草加線の中央一丁目交差点で発生した
道路陥没事故の現場から北東、約600mに位置。
 
普門寺
八潮市中央の街区案内図
悲惨な事故現場は、図の右下端の交差点。
202294日に、自転車で通過。



トルファン・ムカーム
9枚組CD

 
turpan muqamliri
 
uyγur kilassik muzikisi
turpan muqamliri

維吾爾古典民間音樂
吐魯番木卡姆
《吐魯番木卡姆》編委会[編]
新疆吐魯番地区文化体育局 鄯善縣人民政府文化体育局 聯合録制
民族出版社, 1999.7.
ISRC CN-M06-99-302-00/A・J6

 
    演唱者
     シェリプ・サウト šerip sawut 謝日甫・沙吾提
     アウト・ロズィマト 'awut rozimät 阿吾提・肉孜買提
     アズィズ・ニヤズ 'äziz niyaz 艾則孜・尼亞孜
     トゥルスン・イスマイル tursun 'isma'il 吐爾遜・司馬義
     アブリヘキム・ホジニヤズ 'ablihekim xojiniyaz 阿不力肯木・霍加尼亞孜
     
    録音時間:計8時間3630


 前世紀の1999年に発行されたトルファン・ムカームの9枚組CD箱物を、本年(2025年)125日、友人たちの御尽力により、ようやく入手することができました。
 ムカーム muqam とは、1930年代中葉以降「ウイグル」と称されることとなるタリム盆地とその周辺地域に居住するテュルク系ムスリム定住民の間に伝えられた古典音楽大系で、カシュガル・ムカーム、イリ・ムカーム、トルファン・ムカーム、クムル・ムカーム、ドーラーン・ムカームが、それぞれの地域・集団に伝承されております。現代ウイグル民族の古典音楽を代表する「十二ムカーム on ikki muqami」は、中華人民共和国の民族文化政策のもとで、カシュガル・ムカームを主体にイリ・ムカームを以て補い成立したものであり、現代中国ではウイグルのムカームは、十二ムカーム、ドーラーン・ムカーム、トルファン・ムカーム、クムル・ムカームの四種類から成るものとされております。これらのムカームのうちトルファン・ムカームは、トルファン地区(現、トルファン市)の、ルクチュン lükčün(魯克沁)を中心とするピチャン pičan(鄯善)県、(旧)トルファン県(現、トルファン市高昌区)、トクスン toqsun(托克遜)県に伝承されている古典音楽大系です。
 トルファン・ムカームの発祥地とされるルクチュンは、清代にはトルファン郡王の王府があり、トルファン地区の政治・経済・文化の中心地でした。私は、元朝の王号「柳城王」はルクチュンに由来すると推測しており、この城市に対しては“思い入れ”とまでは言えないものの、それなりに注目しておりました次第ですが、2013626日、「新疆鄯善縣暴力恐怖襲撃案」と漢語で称される不幸・悲惨な事件がルクチュンで起き、それが日本でも大きく報道されたことは、今なお記憶に残るところであります。
 さて、届いたCD箱物は、中に曲目解説の冊子があるわけでもなく、9枚のCDの順序さえも分からず、大いに困惑しました。そこで、漢語ネット検索を掛けて本CD集に関する基本情報を調べてみました。当該CD集の存在自体は確認できますが、詳細については判然としません。
 とはいえ、このCD集が、どうやら次の書籍に対応しているものであるらしい、ということは推測できました。
 
    《維吾爾古典民間音樂 吐魯番木卡姆》
    文化部民族民間文藝發展中心、新疆維吾爾自治区吐魯番地区文化体育局、鄯善縣人民政府文化体育局
    北京: 民族出版社, 1999.8.
    ISBN:978-7-105-03582-3

 
 甚だ遺憾ながら本書を所持しておりませんので、引き続きネット上から基礎情報を収集すべく、次は日本語で「トルファン・ムカーム」と検索してみましたところ、ウイグル音楽研究者アブドセミ・アブドラフマン(阿不都賽米・阿不都熱合曼)氏の「ウイグル音楽の歴史と現在:十二ムカームを中心に」(https://dsr.nii.ac.jp/music/08uygur.html)が掛かりました。
 

    8-2-2トルファン・ムカーム

     トルファン・ムカームは主にトルファン地区のトルファン市、ピチャン(善善)県、トクスン県で伝承されている。十種類のムカームが数えられ、その順序は次の通りである。

     @ラク・ムカーム、Aダルダク・ムカーム、Bムシャーヴァラク・ムカーム、Cチャハールガー・ムカーム、Dパンジガー・ムカーム、Eオズハール・ムカーム、Fエジャム・ムカーム、Gオシャク・ムカーム、Hバヤート・ムカーム、Iナヴァー・ムカーム

     トルファン・ムカームはダスタン、メシュレップという部分は含まず、ただチョン・ナグマの様式のみで構成される。それぞれのムカームは基本的にムケッディメ、テエゼ、ヌスカ、ジュラ、セネム、チョン・セリケ、ティキットなどの楽曲から構成されている。セネム部分はメシュレップとも呼ばれ、演奏者及び舞踊者がその場の気分や状況によって、ムカームを組み合わせて演奏するのは特徴である。トルファン・パンジガー・ムカームのセネム部分の終わりでナズルコムと言うユーモア(面白い)の舞踊と音楽が披露される。ここで様々な動物の模様や人形を模倣する。
     トルファン・ムカームは弦楽器(サタール、ダンブール、ラワープ)で演奏する以外に、ナグラとスナイという吹奏楽器で演奏するのは【が】特徴である。

 
 ところが、ここに挙げられている各ムカームの名称が、当該CD集の各CD盤に記されているのとは完全には合致しておらず、困惑に更に輪をかけます。これは、トルファン・ムカームには伝承された地域によって楽曲に差異があるためなのでしょうか。また、当該CD集に収録されている各ムカーム曲は、擦弦楽器サタールと打楽器の伴奏のみで、撥弦楽器のダンブールとラワープ、吹奏楽器のスナイ sunay は使われておりません。
 よって、あらためて漢語ネット検索を掛けなおしてみました。
 すると、香港の「中國文化研究院」サイトに、トルファン・ムカームについて、次のように説明されておりました。
 

    維吾爾木卡姆有哪四種地方版本? | 中國文化研究院 - 燦爛的中國文明
    https://chiculture.org.hk/tc/china-five-thousand-years/3752

    《吐魯番木卡姆》
    《吐魯番木卡姆》主要流傳在新疆吐魯番地區的吐魯番市、鄯善縣和托克遜縣。經過初步的比較,《吐魯番木卡姆》是各種地方木卡姆中最接近《十二木卡姆》的一種,兩者間有過長期、頻繁的互相影響,甚至可能有着「同源」的關係。吐魯番地區兩縣一市流傳的《吐魯番木卡姆》,版本大同小異,現能搜集到《拉克木卡姆》、《且比亞特木卡姆》、《木夏吾萊克木卡姆》、《恰爾尕木卡姆》等共11套。每套《吐魯番木卡姆》由「木凱迪滿」、「且克特」、「巴西且克特」、「亞郎且克特」、「朱拉」、「賽乃姆」、「賽勒克」及「尾聲」等8部分組成。11套《吐魯番木卡姆》共含66首樂曲,全部演唱約需十小時。除絲竹相和歌唱之外,還採用鼓吹樂表演的形式,即由一或數支蘇乃依演奏旋律,三對納格拉(鐵鼓)和一支冬巴克(低音鐵鼓)擊節。

 
 ここには、「トルファン地区両県一市に流伝する《トルファン・ムカーム》はヴァージョンは大同小異で、現在、《ラク・ムカーム》、《チャッバヤート・ムカーム》、《ムシャーワラク・ムカーム》、《チャハールガーフ・ムカーム》等の計11組を捜索収集することができる」と記されております。ここから、11種のムカームのうち4種の名称を確認することができますが、これらは、当該CD集のムカーム名とも合致しております。
 更に調べてみますと、次のサイトに、トルファン・ムカームを構成する全11種のムカーム名が記載されておりました。
 

    非物質文化遺產:新疆維吾爾木卡姆藝術(下)|木卡姆|維吾爾|新疆_新浪新聞
    https://k.sina.com.cn/article_6398107617_17d5b5fe1001003ck7.html

    非物質文化遺產:新疆維吾爾木卡姆藝術(下)
    2018年01月17日 12:49 麦子說照相
    作者:麦子說照相

      吐魯番木卡姆是新疆維吾爾木卡姆藝術的重要組成部分,主要流傳于吐魯番地区鄯善縣魯克沁鎭及周邊吐魯番市和托克遜縣。吐魯番木卡姆包括拉克木卡姆、且比亞特木卡姆、木夏吾萊克木卡姆、恰爾尕木卡姆、潘吉尕木卡姆、烏夏克木卡姆、納瓦木卡姆、薩巴木卡姆、依拉克木卡姆、巴雅特木卡姆和多郎木卡姆共計十一个部分。其中的每一套都由木凱迪滿、且克特、巴西且克特、亞郎且克特、朱拉、賽乃姆、賽勒克、尾声等段落組成,十一套總計包括66首樂曲,全部演唱大約需要10个小時。

      除了在樂器的伴奏下歌唱之外,吐魯番木卡姆還有一種鼓吹樂的表演形式。所以,吐魯番地区的著名木卡姆藝人既要能操起薩它爾琴自彈自唱,還要能吹得一手好蘇乃依。吐魯番木卡姆中“無鼓不歌、無舞不樂”的藝術特色是古代高昌回鶻王国的音樂遺風。・・・・・

 
 ここに記載されている順序に従って各ムカームを並べますと、次のようになります。
     01 ラク・ムカーム 拉克木卡姆
     02 チャッバヤート・ムカーム 且比亞特木卡姆
     03 ムシャーワラク・ムカーム 木夏吾萊克木卡姆
     04 チャハールガーフ・ムカーム 恰爾尕木卡姆
     05 パンジガーフ・ムカーム 潘吉尕木卡姆
     06 オッシャーク・ムカーム 烏夏克木卡姆
     07 ナワー・ムカーム 納瓦木卡姆
     08 サバー・ムカーム 薩巴木卡姆
     09 イラーク・ムカーム 依拉克木卡姆
     10 バヤート・ムカーム 巴雅特木卡姆
     11 ドゥラン・ムカーム 多郎木卡姆
 当該CD集には、04チャハールガーフ・ムカームと11ドゥラン・ムカームが1枚のCDに収録されておりますので、この順序どおりに並んでいるわけではありませんが、とりあえず次のように整理しておきました。
    [CD1] (52.47)
     01 ラク・ムカーム rak muqami 拉克木卡姆
    [CD2] (57.20)
     02 チャッバヤート・ムカーム čäbbayat muqami 且比亞特木卡姆
    [CD3] (65.04)
     03 ムシャーワラク・ムカーム mušawäräk muqami 木夏吾莱克木卡姆
    [CD4] (60.52)
     04 チャハールガーフ・ムカーム čähargah muqami 恰爾嘎木卡姆
     11 ドゥラン・ムカーム dulan muqami 多郎木卡姆
    [CD5] (55.55)
     05 パンジガーフ・ムカーム pänjigah muqami 潘及嘎木卡姆
    [CD6] (62.56)
     06 オッシャーク・ムカーム 'oššaq muqami 烏夏克木卡姆
    [CD7] (54.09)
     07 ナワー・ムカーム näwa muqami 納瓦木卡姆
    [CD8] (51.16)
     08 サバー・ムカーム saba muqami 薩巴木卡姆
    [CD9] (56.11)
     09 イラーク・ムカーム 'iraq muqami 依拉克木卡姆
     10 バヤート・ムカーム bayat muqami 巴雅特木卡姆
 この整理順で正しいという保証はありませんが、上記の書籍があれば、おそらく“解答”を容易に得ることができるのでしょう。
 それはともかくとして、古都ルクチュンではトルファン・ムカーム伝承のための“培訓班”が2015年以降 開催されているとの報道があります。また、ルクチュンは観光地として「ムカーム村」が喧伝され、20233月には「第六批中国傳統村落」に列したとの由です。引き続き伝統文化が揺るぎなく伝承されていくことを期待する次第です。
2025.2.4.記)

 
 トルファン市人民政府サイト(吐魯番市人民政府網)の「トルファン十二ムカームの発祥地を探訪せよ 一つの、歴史文化が濃厚な小さな町」に、トルファン・ムカームに関する簡単な紹介文があります。

    探訪吐魯番十二木卡姆發源地 一个歴史文化濃的小鎭
    https://www.tlf.gov.cn/tlfs/c106441/201512/0f9e32bac8f84b77b2dd1e6a79a62c0d.shtml

     ルクチュンはトルファン十二ムカーム芸術の発祥地であり、トルファン・ムカームとは即ちルクチュン・ムカームを指しており、その歴史の淵源は高昌楽以前の時代にまで遡ることができる。ルクチュン・ムカームは濃郁鮮明な地域特色を備えており、音楽のリズム、旋律、構造形式等の方面において、既に出版発行されている『十二ムカーム』、『ドーラーン・ムカム』とは均しく差異がある。これにより、1996年、ルクチュン・ムカームに対する専門家の発掘・整理を経て、地域特色を備えた『トルファン・ムカーム』という書籍を出版した。ルクチュン・ムカームの最も顕著な特徴は、「鼓なくして歌わず、鼓なくして舞わず、鼓が変われば音楽が変わり、音楽が変われば舞が変わる」ということである。
 トルファン・ムカームは「十二」ではありませんが、ここからは少なくとも、トルファン・ムカームに対して「ルクチュン・ムカーム」という呼称も公的に使用されている事実が知られます。
2025.2.7.付記)




早稲田大学エクステンションセンター公開講座(オンライン)「蒙古襲来750年」講座は終了しました。
 本講座では、龍ノ口で切られた元使五人のうち一人はアイヌであった可能性があること、モンゴル軍による複数回にわたるアイヌ侵攻の中には北海道渡海作戦も含まれていた可能性があること、を指摘しました。
 なお、本講座は、来年2015年春学期にオンデマンドによって配信される予定です。
 
蒙古襲来750年
日本列島の西と北へのモンゴル軍侵攻

https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/63949/

講義概要
 2024年は文永の役から750周年にあたります。本講座では、鎌倉武士が奮戦した文永・弘安の役だけでなく、「北からの蒙古襲来」「もうひとつの蒙古襲来」としばしば称される、モンゴルのアイヌ征討についても詳論します。このアイヌ征討は、定説ではモンゴルの樺太遠征とされております。しかし、モンゴル帝国(元朝)は樺太最南端の白主(シラヌシ)に土城を構築したと考えられております。したがって、モンゴル軍は白主土城を軍事拠点として宗谷海峡を渡海して北海道へ遠征した可能性もあると考えられます。この仮説の可否を、アイヌの北上と、北海道からの「オホーツク文化」の消滅という、北海道オホーツク海沿岸地方における文化交替と関連させて考察します。

第1回 10/04 蒙古襲来前夜における東北アジア
 チンギス・ハンの金朝遠征に伴い、満洲地域には、契丹人耶律留哥の東遼政権、女真人蒲鮮万奴の東夏政権が成立し、後者はモンゴルに敵対しましたが、オゴデイ期に平定されました。また、モンゴルは度重なる高麗侵攻を行い、1273年までに高麗・耽羅(済州島)を支配下に置き、1274年の文永の役に到ります。第1回では、蒙古襲来前夜における東北アジアの国際情勢について概観します。

第2回 10/11 「蒙古国牒状」
 至元三年(1266)八月に発令されたフビライの国書「蒙古国牒状」が高麗の使者の手によって文永五年(1268)正月、太宰府にもたらされました。この国書には「以至用兵、夫孰所好」という脅迫文言が含まれ、冊封体制下における中国の外交の慣例とは著しく相違しており、日本側は対応に苦慮しました。第2回では、冊封体制下の東アジアにおける国際関係秩序と、「蒙古国牒状」をめぐる諸問題について考察します。

第3回 10/18 文永・弘安の役
 二度にわたり日本へ遣わされた使節、趙良弼は、フビライに日本遠征の中止を求めたものの、結局、フビライは二次にわたる日本遠征を敢行しました。鎌倉武士の奮戦のもとに、モンゴルの遠征軍の軍事作戦は失敗に終わりましたが、その戦間に、ムスリム(ウイグル人に非ず)を含む五人の元使が龍ノ口で斬首される悲運に遭っております。第3回では、文永・弘安の役と、未遂に終わった第三次日本遠征について検討します。

第4回 10/25 蒙古襲来前夜のオホーツク海南西沿岸地域
 三・四世紀頃〜十三世紀事のオホーツク海西南岸には「オホーツク文化」が分布し、その負荷者はギリヤーク人(ニグヴン、ニヴフ)に比定されております。北海道のオホーツク文化はアイヌの進出により消滅しましたが、これは、『元史』等に記載がある骨嵬(クギ)(アイヌ)による吉里迷(ギリミ)(ギリヤーク)への攻撃との関連性が指摘されています。第4回では先行研究に基づき、蒙古襲来前夜のオホーツク海南西沿岸地域の状況を概観します。

第5回 11/08 モンゴル軍のアイヌ征討
 「北からの蒙古襲来」「もうひとつの蒙古襲来」とも呼ばれるモンゴル軍のアイヌ征討は、北方から日本を挟み撃ちにすることを狙ったわけではなく、あくまでも、内附した吉里迷(ギリミ)を攻撃する骨嵬(クギ)を平定することから始まった地域限定的な軍事行動に過ぎません。しかし、モンゴルは二度にわたり「兵万人」を動員しており、戦争の規模は決して小さくはありませんでした。第5回では、モンゴル軍のアイヌ征討と、その後の樺太の歴史を簡単にたどります。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

赤坂恒明 監訳/金山あゆみ 訳注『ラシード=アッディーン『集史』「モンゴル史」部族篇訳注』(風間書房, 2022.4.
https://www.kazamashobo.co.jp/products/detail.php?product_id=2446)が、現在、発売中です。気合を入れれば大学生でも購入できる価格に設定されております。風間書房の意気に応じていただければ幸いです。
2022.5.1



978-4-642-08369-0

日本史史料研究会 監修
 
赤坂恒明
 
「王」と呼ばれた皇族
 
  古代・中世皇統の末流

 
東京、吉川弘文館、二〇二〇年一月
 
(発売:二〇一九年十二月二十日)
 
ISBN 978-4-642-08369-0
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b487640.html


細々と発売中の本書にも、「個人用電子書籍」が、202111月より、紀伊國屋書店の「Kinoppy」等で配信される、との由です。価格は紙の書籍と同額です。なお、電子版の発売にともない、紙の書籍の存在意義が相対的に低くなります。紙の書籍の購入を御検討の方は、拙著『ジュチ裔諸政権史の研究』の如く品切・絶版となって入手不可能となる前に、お早目に御購入いただければ、と存じます。
2021.10.21



小文「刀鍛冶の徒弟であった御落胤、伏見宮貞致親王」所載の 渡邊大門 編『歴史が拓く未来』(市川、歴史と文化の研究所、2021.1)は、発行されるや即日、品切れとなり、その後、ごく少部数が増刷されましたが、同じく品切れとなりました。本書を所蔵する図書館・研究機関は、私の把握する限り、国立国会図書館と八王子市図書館のみです。そこで、すでに稀覯書と化しております本書の517頁に所載の小文を、編者 渡邊大門先生から御認可いただきまして、ネット上に公開いたしました(ただし、「おわりに」の大部分は公開を差控えております)。学術論文ではなく、小著『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流 』で割愛した文章を増補修訂した、一般読者向けの文章です。御一読いただければ幸いです。
2021.4.28



赤坂恒明のページ


過去に掲げた探訪記・写真等



● 以前に使用していた電子メール・アドレス「akasaka@aoni.waseda.jp」は既に廃止されております。

● かつて私が或る公開講座にて語った内容が、甚だ不正確に解釈された形で、私の発言として或るブログに書かれております。しかし、そのようなことは全く述べておりません。まことに困ったことです。

● 本ページのアドレスは、二〇〇四年九月末、
   http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3312/index.html
 から
   http://www.geocities.jp/akasakatsuneaki/index.html
 に変更され、更に二〇一九年二月十三日、
   http://akasakatsuneaki.c.ooco.jp/index.html
 に変更されました。




ウクライナ共和国民族・母語人口統計一覧表(2001年)
ウクライナ共和国クリミア自治共和国民族・母語人口統計一覧表(2001年)
ウクライナ共和国ドネツィク(ドネツク)州民族・母語人口統計一覧表(2001年)
ウクライナ共和国ヘルソン州民族・母語人口統計一覧表(2001年)
ウクライナ共和国オデサ(オデッサ)州民族・母語人口統計一覧表(2001年)



過去の記事より

 
(再公開作業中)


 
訃報 何秀芝 老 ソロン・エベンキ人の民俗文化伝承者

 
国鉄103系電車車輌

 
カザフ音楽巨匠サドワカス・バルマガンベトフ逝去25周年

 
「モスクワ放送」の思い出

 
訃報 アブディモムン・ジェルディバエフ カザフ東南部ジェティスー地方のドンブラ(撥弦楽器)巨匠

 
早稲田大学図書館所蔵平田本『諸家近代系図』公開

 
煩悩の数だけある音源 モルドバのアントノフカ・レコーヅ
  「音源紹介 Antonovka Records

 
2020年全ロシア国勢調査の衝撃

 
マリウポリのクインジ記念美術館の破壊

 
戦禍のマリウポリとクリミア・ギリシア人

 
「広きドニエプル川は咆哮し、うなりをあげ」Реве та стогне Дніпр широкий ウクライナ民族の象徴的歌曲
  「広きドニエプル川は咆哮し、うなりをあげ」(「広きドニエプルの嵐」)のウクライナ語カタカナ歌詞 PDF

 
訃報 マリア・索(瑪麗亞・索 / 瑪利亞索 Maria Sologon / Мария Сологон)老(19212022) オルグヤ・エベンキ人の民俗文化伝承者

 
哀悼 チョイジ čoyiji(喬吉)先生

 
哀悼 ヒシクトクトホ č.kesigtoγtaqu(賀希格陶克陶)先生

 
2021年:現代ウイグル民族命名百周年(20211220日記)

 
今はなき清水公園の「乗り物公園」(2021920日記

 
遠州堀江城主大澤左衛門佐基胤夫妻の墓(池袋の瑞鳳山祥雲寺)(2021620日記

 
最初の在日ウイグル民族(2021524日, 61日記

 
学術関連情報 音源付きミシャル・タタール民謡集 L.X.ジガンシナ、L.I.サルヴァロワ編『ラムベラのタタール=ミシャル人の民謡』(《タタール民族音楽=詩作品》第五巻)(202157日記

 
木寺宮研究の進展(2021417日記

 
善良両氏 (202121日記

 
20201221日の「天声人語」における『スーホの白い馬』によせて (20201222日記

 
或る日本人モンゴル帝国史研究者から、或る中国人(漢族)若手同業者への便り (202099日 日本語による電子メールからの抄録

 
カザン刊民俗音楽音源付書籍三点と、ペルム地方の「黄金基産(フォンド)」CD六点 ──ヴォルガ・ウラル地域諸民族の民俗音楽音源資料より── ウドムルト、コミ=ペルミャク、マリー、タタール、バシコルト(バシキール)等20191213日)

 
地名サランスクを知らざる金帳汗国史研究者は“もぐり”也と云わざるべからず2018629日)

 
研究情報 : 十八〜十九世紀の北カフカスの歴史におけるチンギス・ハンの後裔たち2018312日)

 
東カレリア北部のカレリア・フィン民謡の音源資料2016.11.27.記)

 
価格百分之一 トルクメンとモンゴルの豪華写真集20151013日)

 
研究情報 : 近刊のランプール本『集史』「モンゴル史」写真版刊本2015108日)

 
訃報 タラスベク・アセムクロフ Talasbek Asemkulov2014114日記)

 
拙稿中の一章「ウテミシュ=ハージーの『チンギス=ナーマ』の史料性,再論」2013.6.29

 
タタール民族の国民的芸術家ウルマンチェ生誕115年記念展図録2013.6.8

 
筑波鉄道最後の日における常陸北条駅2012.5.9.記)

 
研究情報 : 十五〜十七世紀のロシアにおけるチンギス家一門2012.4.27

 
アルメニアで刊行された、アイヴァゾフスキーに関する美術研究書2012.4.12

 
三たびクインジ2012.2.7

 
油地獄 イサーク・レヴィタン生誕百五十周年2011.09.04

 
ロシア美術館のアルヒプ・クインジ2011.07.18

 
A.I.クインジ歿後百周年によせて2010.11.22



赤坂恒明のページ