ウクライナ東部〜南部の黒海・アゾフ海北岸地域は、近代以前には騎馬遊牧民が根拠地とした広大な草原でした。この地は、13世紀にモンゴル帝国の西北部を構成したキプチャク汗国の、その分裂後はクリミア半島を本拠地としたクリミア汗国の支配下に入りました。チンギス・ハンの長男ジュチの子孫を戴いたクリミア汗国は、モスクワ、リトアニア大公国と肩を並べる地域大国で、その騎兵はモスクワ・ロシアを数百回にわたり襲撃し、一度はモスクワを炎上させました。本講座では、日本ではその通史を知ることが困難であるヨーロッパ最後のチンギス・ハン後裔政権クリミア汗国について、ロシア・ウクライナとの関係を含め、政治史を中心に紹介します。 | |||
1 | 11/18 | キプチャク汗国の分裂とクリミア汗国の成立 | スキタイ、サルマタイ、フン、キプチャク(ポロヴェツ)等々さまざまな騎馬遊牧民が興亡を繰り返した黒海・アゾフ海北岸の草原地帯は、13世紀、モンゴル帝国に征服され、モンゴル帝国の西北部を構成したキプチャク汗国の支配下に入りました。14世紀後半、キプチャク汗国は分裂し、王族の一人ハージー=ギレイがリトアニア大公国の支援を受け、1441年、クリミア半島における支配権を確立しました。通説では、これがクリミア汗国の成立とされております。ハージー=ギレイは、キプチャク汗国の正統政権とされる大オルダ、および、クリミア半島南部のカッファに植民地を有したジェノヴァ人と対立し、オスマン帝国と同盟を結びました。第1回では、クリミア汗国成立に至るまでの政治的動向と、その初代君主とされるハージー=ギレイの事績について説明します。 |
2 | 11/25 | クリミア汗国の発展と、モスクワ・ロシアへの襲撃 | ハージー=ギレイの子メングリ=ギレイは、父の没後、オスマン帝国(ジェノヴァ領カファを1475年6月に占領)の支援を受けて兄弟との継承争いを制しました。以後、クリミア汗国はオスマン帝国の宗主権下に入り、オスマン帝国の軍事力を背景に発展を遂げることとなります。クリミア軍はオスマン帝国の軍事作戦に参加しましたが、時にはオスマン帝国の意向に反する行動をも取りました。また、クリミア汗国は、当初、モスクワ・ロシアとの関係は原則として友好的でしたが、イヴァン雷帝によるヴォルガ川流域への進出に伴い関係が悪化し、16世紀後半からクリミア汗国はロシアへの襲撃を本格的に開始し、1571年にはモスクワを炎上させました。第2回では、クリミア汗国の発展と、東ヨーロッパにおけるロシア、リトアニア・ポーランド、オスマン帝国との国際関係におけるクリミア汗国の政治的位置について検討します。 |
3 | 12/02 | ロシア帝国の南下政策とクリミア汗国の衰退 | クリミア軍のロシア襲撃は、政治的な軍事行動であると同時に、人的資源をも含めた戦利品の獲得という経済活動でもありました。また、ロシア国家は、1685年までクリミア汗たちに貢税を払い続けました(最終的な廃止は1700年)。しかし、ロシアはウクライナを中心に、万里の長城のような障壁を構築・強化し、クリミア軍の襲撃を防御しました。また、クリミア汗国の背後にあったオスマン帝国、および、ポーランドの衰退、ウクライナにおけるコサックの興起、ロシア帝国の勢力拡大の影響を受け、17世紀以降、クリミア汗国は衰退の一途をたどりました。ロシアの南下政策は、ピョートル大帝のアゾフ遠征(1696年)を経て、オスマン軍を大敗させた露土戦争の講和条約キュチュク=カイナルジャ条約(1774年)によってクリミア汗国をオスマン帝国から政治的に切り離しました。第3回では、ロシア帝国の南下政策のもとにおけるクリミア汗国の衰退について概観します。 |
4 | 12/09 | クリミア汗国の滅亡と、遺された人々の変転 | オスマン帝国から「独立」したクリミア汗国にはロシアの影響力が強まりました。ロシアの支援下にクリミア汗となったシャーヒーン=ギレイは改革を性急に推し進めましたが、それに失敗して国内混乱を引き起こしました。将軍ポチョムキンのクリミア進軍によってシャーヒーン=ギレイはクリミア汗位を恢復しましたが、結局、ロシア皇帝エカテリーナ二世から見放され、1783年、クリミア汗国は廃止されました。その継承政権(クバン汗国)は西北コーカサスのクバン地方でしばらく存続しましたが1792年に終焉、ヨーロッパにおけるチンギス・ハン後裔王朝は消滅しました。クリミア汗国滅亡後、その遺民たるテュルク系イスラム教徒の子孫は近代に至り、クリミア・タタール民族として自民族の歴史を再構築する上でクリミア汗国を民族アイデンティティ(自己帰一意識)の中核と位置付けました。第4回では、クリミア汗国の歴史を総括し、また、クリミア汗国のもとで民族形成を遂げた諸民族、すなわち、スターリンによって故郷から追放されたクリミア・タタール人、ナチス・ドイツに虐殺されたクリムチャク人、2022年にマリウポリにおける民族社会が壊滅したクリミア・ギリシア人についても言及します。 |
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日本史史料研究会 監修 赤坂恒明 著 『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流 』 東京、吉川弘文館、二〇二〇年一月 (発売:二〇一九年十二月二十日) ISBN 978-4-642-08369-0 http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b487640.html |